リベラリズムの語り方(講演「リベラリズムとは何か?」メモ)

 先日、「リベラリズムとは何か?」という講演を聞いた。内容を詳細に書くのはダメだと思うので、ごく手短に概要をまとめてみたい。

第13回ワークショップ:「リベラリズムとは何か?:What is Liberalism?」 - 社会科学のメソドロジー

web.iss.u-tokyo.ac.jp

 まず馬路智仁先生の発表は、リベラリズムを分析するならリベラリズムの定義から始めなければならないという認識を前提に、近年翻訳されたリベラリズムに関する次の3つの文章が、リベラリズムを語るためにどんな方法論をとっているかを解説し、コメントしていくというもの。

 

ダンカン・ベル『リベラリズムとは何か』

cir.nii.ac.jp

ヘレナ・ローゼンブラット『リベラリズム 失われた歴史と現在』

マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』

 

 三者の立場は、ざっくり言うとこんな感じ。

  • ベル:リベラリズムと分類されたり、リベラリズムを自任してたりするものは全てリベラリズムと認め、流れを辿っていく。ただし、論敵によるレッテル張りとか、一世代で消えるような言説は含めない。
  • ローゼンブラット:リベラリズムという語の意味の変遷を辿っていく(ただ本人はこの方法論的指針から逸脱してる)。
  • フリーデン:中核的な概念を7個抽出して、その組み合わせでリベラリズムの中にもバリエーションが出てくるとする。その上で、時代地域ごとの組み合わせのパターンを辿っていく。

 ベルはとりあえずリベラリズムの流れと言われるもの全体の文脈を包括的に辿っていく、フリーデンは最初に中核概念を決めて、それを含むものをリベラリズムと規定する(とはいえリベラリズムとされる言説を包括的に扱えるように工夫してる)、ローゼンブラットは文脈を辿っていくと言いながら自分から積極的にリベラリズムを規定していっている、という感じにまとめられていたと思う。フリーデンの方法が最大公約数的に同意を得られそうだけど、馬路先生自身は政治思想史の方法としてベルのやり方を推奨する、とのことだった。

 

 次の趙星銀先生の発表は、日本における「自由」という語の歴史について。ざっくり書くと、だいたいこんな流れらしい。

  • 「自由」には、ルールに縛られずわがまま放題みたいなニュアンスがあったので、福沢諭吉は自由という訳語を提案したときに「そういうニュアンスはないぞ」と注意書きをつけなきゃいけなかった。
  • 自由民権運動期は自由という言葉が流行したけど短期的なものでしかなく、大正デモクラシーが始まって自由主義の議論はあんまりなされなかった。
  • 昭和期も自由主義は知識人の間で一応論じられてはいたが、自由主義vs社会主義という構図が主で、その外で広がっていく国家主義に無防備だった。
  • 戦後も、いわゆる戦後民主主義の中で自由主義はあんまりテーマにならなかったし、冷戦構造の中で反共主義のバイアスがかかってしまった。

 ということで、全体的に日本では自由主義に関する議論はあんまり盛り上がらなかったし、定着もしなかったという論調だった。後の討議では丸山眞男について触れられていて、共産主義vs自由主義という戦後の構図において反・反共主義こそ自由主義だと書いたとか、自由主義を表面的にでなく実質的に根付かせようとすれば、日本の社会・心理的な構造まで考えないといけないと書いていたとか、そういう話がなされていた。

 なお、この本が参考文献として紹介されていた。

石田雄『日本の政治と言葉 上 「自由」と「福祉」』

 

 最後に宇野重規先生、加藤晋先生を交えた討議があったけど、色んな論点が出てきてまとまりそうにないので、割愛。ノージックとか、「リベラリズム」と「リベラリズムの伝統」を区別することの意味とか、日本でニューリベラリズム的な思想が弱かったのは、別のルートで福祉政策が進められちゃったからでは、とかそういう話がなされていた。

 

感想

 まず、色々知らなかった話が聞けて単純に面白かった。例えば、たびたび話題になっていたけど、ロックはリベラリズムが反全体主義として再構成される中で始祖として見出されたのであり、リベラリズムの伝統においてはそもそも無視・軽視されてきた、という話とか。日本では自由主義はあまり盛り上がらなかったという話も、言われてみれば大正デモクラシー戦後民主主義も「民主主義」のムーブメントなんだなぁ、という納得感があった。

 またこれは不満というわけではないけど、「リベラリズムを語るならまず定義から考えなきゃいけない」という前提があるから当然とはいえ、思想史的な話がメインだという印象を受けた。

 例えばジョセフ・ヒースは、リベラリズムが成功したのは、その知的魅力よりも、現実にうまく社会を機能させたからだ、とたびたび強調している。なので、思想史的なアプローチだけでなく、現実におけるリベラリズムの働きをメインにしたリベラリズムの語りみたいな話ももっと聞ければよかったなぁ、と思ったりした。

Joseph Heath "The Efficient Society"

 

 あるいは、筆者は全く読んでないので分からないけど、マーク・コヤマ&ノエル・ジョンソンの"Persecution and Toleration"『迫害と寛容』なんかも、宗教的自由と近代国家の発展の関係を扱った本らしい。こういう本も、思想史的にリベラリズムを扱う語りとはだいぶ視点が異なってくるんじゃないかと思う。

Noel Johnson & Mark Koyama "Persecution and Toleration"

 

 と、以上ぐちぐち書いてきたけど、大変勉強になったし面白かった。馬路先生の挙げていた本は、読まなきゃなんだろうけどどうにもダルそう…みたいな感じで敬遠していたけど、見取り図を提供してもらった今ならチャレンジできそうな気がする。