民営化と一口に言っても…(ジョセフ・ヒース講演「無害な民営化Anodyne Privatizations」概要)

 ジョセフ・ヒースが

Grimen-lecture 2022: Joseph Heath, University of Tronto: Anodyne Privatizations

www.oslomet.no

 という講演をやるらしい。会場はオスロ・メトロポリタン大学というノルウェーに新しくできた大学で、zoomとかもないっぽいので聞くことはかなわないが、概要をとりあえず訳してみる。適当な訳なので、気になる人は原文を見てほしい。*1

 タイトルはAnodyne Privatizationsとなっていて、anodyneは「害をもたらさない、反対する人がほとんどいない、(議論を呼ぶ要素がないので)つまらない」くらいの意味らしいが、いまいちいい訳語が思いつかないので、とりあえず「無害な」と訳した。もっと適切な訳語があればご教授ください。

 

無害な民営化Anodyne Privatizations

 国家サービスの民営化は、過去数十年間、政治的対立の火種になり続けてきた。福祉国家、そして市場がもたらす不平等を和らげるという福祉国家の中心的使命を支持する人なら、あらゆる形の民営化に反対すべきだ、と多くの人が考えている。

 本講演の目的は、なぜ福祉国家を支持する人でも、特定の場合に、特定の国家サービスについて民営化を支持する可能性があるのかを説明することである。多くの哲学的研究は、民営刑務所や民間軍事会社の導入といった、民営化の取り組みの中でも最も問題含みな例に注目してきた。

 これとは反対に、私は「無害な民営化」(合理的な人なら反対することがあり得ないようなタイプの民営化)について述べてみたい。民営化のほとんどはこの〔問題含みな例と無害な例の〕両極の間のどこかに位置づけられる。そのためここでの分析は、あらゆる民営化案について、それがどこまで受け入れられるかを評価するための枠組みを提供する。この分析の最初のステップは、民営化が単一の現象ではないことを示すことである。

 最も重要なのは、民営化には様々なタイプがあり、紛らわしいことに、民営化の程度も様々であるということだ。また、民営化を行うモチベーションにも様々なものが存在する。

 民営化という言葉の下に、互いに全く異なる様々な現象が括られがちであることが分かれば、様々な民営化の間に(合理的な人が、特定の民営化について賛同するかしないかを左右しているかもしれない)重要な規範的差異が存在することが理解しやすくなる。

 

 

 …まぁ当たり前のことだが、民営化は絶対に正しいものでも、絶対に間違ってるものでもなくて、ケースバイケースで見ないといけない、という話らしい。民営化という言葉が出るとすぐに「新自由主義」がどうのという話になってしまうが、実態を無視しがちな規範的議論を諫めて、きちんと実態を見よと言いつつ、そこからまた規範的議論を構築していくというのがいかにもヒースらしい感じがする。

 ところでヒースは、邦訳されているところだと『資本主義が嫌いな人のための経済学』の第8章「サイコパス的利潤追求」の最後のところでちらっと民営化について論じている。雑にまとめると、第二次大戦後に北米やヨーロッパ各国で企業が国有化され公益追求が掲げられたが、公益なる曖昧な目標を掲げたためにガバナンスが利かなくてパフォーマンスが非常に悪く、70年代には国有企業の多くは既に利潤追求を求められていた(80年代に「新自由主義」政権が国有企業の民営化をスムーズに行えたのは、多くの国有企業が既に民間と同じ事業形態をとっていたから)、という話である。政治をイデオロギーだけで動くものと考えていると、こういうところを見落としがちになるのではないかと思う。

 

ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』