「ハリー・ポッターと合理主義の方法」個人的備忘録(その2)

 この記事の続き。

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「死の影」編

38章「大罪」

 学期始まり、九と四分の三番線。ドラコに対して何を企んでいるのか、とルシウス・マルフォイに問い詰められる。

 

39章「仮そめの知恵(その1)」

 ダンブルドアと議論。ハリーは、死は最低最悪でなくすべきことだと語り、ダンブルドアはそれを認めない。

 

40章「仮そめの知恵(その2)」

 クィレル先生とお茶。死後の世界について会話。

 

41章「前頭葉の優越性」

 模擬戦でハーマイオニーとマルフォイを屋根まで追い詰め、2人が助け合うように仕向ける。ハリーは顰蹙を買う。

 

42章「勇気」

 ハーマイオニーに謝罪するため、屋根から落ちるという罰を受けるも、危うく死にかける。クィレル先生のおかげで助かる。リーマス・ルーピンに実父母ジェームズ&リリーについて聞く。

 

43章「人間主義(その1)」

 クィレル先生の発案で、希望者がディメンターの前で守護霊の魔法(エクスペクト・パトローナム)の訓練。ハーマイオニーは失敗。ハリーも失敗し、実父母ジェームズ&リリーがヴォルデモートに殺されるときの記憶を思い出す。ハリーの闇の人格が現れる。

 

44章「人間主義(その2)」

 ハーマイオニーがキスしてハリーが正気に戻る。

 

45章「人間主義(その3)」

 もう一度ディメンターと対面し、ハリーが守護霊の魔法に成功する。成功するどころか、異常に発光する人型の守護霊を出せるようになり、ディメンターを消失させてしまう。

 

・ディメンターの正体は死だと気づき、エクスペクトパトローナムに成功するハリー。ディメンターを消失させる。

ママとパパ、ハーマイオニーの友情、ドラコの試練、ネヴィルとシェイマス、ラヴェンダーとディーン、青い空と輝く太陽とその仲間、地球、星ぼし、人類の約束、その現在と未来のすべて……

ハリーの指が杖にふれ、開始位置につく。これで、正しい種類のぬくもりと幸せのイメージをする準備はできた。

ハリーの目はまっすぐに、ぼろぼろのマントのなかへむかい、ディメンターと呼ばれるものを正面からのぞきこむ。 虚無。空白。宇宙の裂け目。色と空間の欠如。世界からぬくもりを吸いとる流出口。

そこから発せられる恐怖で、幸せな思考が奪われる。そこに近づく人は、元気を吸いとられる。それに口づけされた人は、人格が崩壊する。

おまえの正体はわかった——ということばを思考しながら、ハリーは杖をふった。一、二、三、四。それぞれ適切な長さだけ、宙を切る。 おまえの本質は〈死〉の象徴だ。なんらかの魔法の法則を通じて〈死〉が世界に落とす影だ。

〈死〉を、ぼくはけっして受けいれない。

〈死〉は子どもじみたものにすぎない。人類がそこからぬけだせていないのは、人類が未熟だからにすぎない。

いつの日か……

ぼくたちはそれを克服する……

そしてひとは別れを言う必要がなくなる……

杖がもちあがり、まっすぐディメンターにむけられた。

「エクスペクト・パトローナム!」

思念が堰を切るようにあふれだし、腕から杖へと流れ、そこからまばゆく燃える白い光となって放出された。 光は実体化し、かたちと質量を得た。

二本の腕と二本の足をもち、頭をのせて直立する、ホモ・サピエンスという動物——人間のかたち。

ハリーはありったけのちからを呪文にそそぎこみ、それはどんどんあかるくかがやいていく。沈みかけた太陽よりもあかるく白熱するそれを見て、〈闇ばらい〉とクィレル先生はショックをうけ、目をおおった。

〔中略〕

ハリーが杖をおろすと、かがやく人間の像は消えた。

ハリーはゆっくりと息をはいた。

夢から覚め、眠りを終えて目をひらいたときのように、ハリーは檻から視線を離した。見まわすと、全員がこちらをじっと見ていた。

アルバス・ダンブルドアがこちらをじっと見ている。

クィレル先生がこちらをじっと見ている。

〈闇ばらい〉の三人がこちらをじっと見ている。

まるで、たったいまディメンターをハリーが破壊したとでもいうような顔で、こちらを見ている。

ぼろぼろのマントが檻のなかに落ちている。そのなかみは、からっぽだ。

 死は絶対に悪いことだというのはハリーが一貫して保持している信念。

 

46章「人間主義(その4)」

 ハリーが自分に関する預言やダンブルドアについて本格的に調べ出す。

 

47章「人格性の概念」

 マルフォイとの会話。ハリーはマルフォイに率直に自分の狙いを話す。マルフォイは、スリザリン陣営にとってダンブルドアは完全に悪者であること、ダンブルドアは無実の母を殺したことを語る。ハリーが蛇語使いであることが発覚。

 

・スリザリンそして純血主義の病理を治療すべきだとマルフォイに語るハリー。

「ハリー、きみはぼくと〈太陽〉軍司令官をわざと敵にまわすようなことをした。あれは、きみという敵に対してぼくらを協力させるためだったのか?」

ハリーはためらうことなく、うなづいた。世界で一番あたりまえのことだ、なにも恥ずかしいことではない、とでも言うように。

「あの手ぶくろで城の壁をよじのぼらせたのもすべて、ぼくとグレンジャーの距離をちかづけるためだったのか。 いや、それだけじゃない。 きみはとても長くこの謀略を準備してきた。 はじめからそうだったんだ。」

ハリーはまたうなづきをもって答えた。

なぜこんなことをする?

ハリーの両眉が一瞬あがった。扉をとじたこの教室じゅうに響くほどの、ドラコ自身の耳が痛むほどの悲鳴だというのに、ハリーの反応はそれだけだった。 なぜだ……。なぜハリー・ポッターこういうやりかたをするんだ……。

そしてハリーがこたえた。「スリザリン生たちがもう一度〈守護霊の魔法〉を使えるようにさせるため。」

「パターンさ。」と言って、ハリーはとても真剣な、深刻そうな表情をした。 「これはスクイブの夫婦が子をつくると四分の一が魔法族になるのとおなじくらい、 単純で、見落としようがないパターンだから、どこを見ればいいかさえ知っていれば一瞬で気づく。 なのに、知らなければ、それが手がかりになっていることさえ気づけない。 スリザリン寮の病巣とおなじものは、マグル世界の歴史のなかにもあった。 あらかじめ予言してみようか。これは学校がはじまった一日目に、キングスクロス駅できみの話を聞いただけでも、ぼくにはぴったり当てられる予言だった。 きみのお父さんがやる決起集会にたむろする人のなかに、どんなにみじめな人たちがいるかをあててみよう。純血家系なのにマルフォイ邸の晩餐会には決して招待されないのがどういう人たちかをあててみよう。 この目で見たから言えるんじゃない。スリザリン寮でどういうパターンが生じているかさえ知っていれば、あてることができる——」

それから、ハリー・ポッターはするりと切断するような正確さで、パーキンソン家とモンタギュー家とボウル家の特徴を描写した。ドラコなら、あたりに〈開心術師〉がいる可能性を心配して、思考することすらはばかられるほどの言いかただった。侮辱ということすら生やさしい。各家の耳にはいれば、ハリーは殺される……

「まとめると、彼ら自身に権力はないし、 富もない。 マグル生まれを憎むことができなければ、つまり彼らのお望みどおりマグル生まれがいなくなってしまえば、翌朝、自分たちはからっぽだとに気づかされてしまう。 でも、純血のほうが優れている、と言いつづけられるかぎりは、優越感を感じて、支配者階級の一員であるような気でいられる。 まちがってもきみのお父さんの晩餐会に招待されることがないとしても。自分の金庫がすっからかんだとしても。ホグウォーツでの自分のOWLsの点数がマグル生まれの最低点にすらおよばないとしても。 〈守護霊の魔法〉をかけることができなくなったとしても。 すべてマグル生まれのせいにすればいい。そう言って、自分自身の失点を自分以外のだれかに着せることができる。それが彼らをさらに弱くする。 スリザリン寮はそういうみじめな場所になりつつある。マグル生まれを憎むことこそが、その問題の根源だ。」

「泥血は追いださなければならない、というのはサラザール・スリザリンみずから主張したことだ! 泥血のせいで血統が薄まる、というのも——」  ドラコは声をはりあげ、最後のところでは叫び声になっていた。

単純な事実として、サラザールはまちがっていたんだよ! ドラコ、きみはもうそのことを知っている! そしてその憎悪がスリザリン寮全体をむしばんでいるから……〈守護霊の魔法〉はそういう思考では発動しない!」

「だったら、サラザール・スリザリンはどうして〈守護霊の魔法〉を使えたんだ?」

ハリーはひたいから汗をぬぐった。 「そのときとは時代がかわったんだ! よく聞いてほしい。三百年まえには、偉大な科学者でも……サラザールに相当するような偉大な科学者でも、肌の色のちがいを理由に、ある種のマグルのことを劣等種だと言ったりした——」

「肌の色だと?」

「そう、血統のように大事なこととくらべたら、肌の色なんかにこだわるのはばかばかしい、って言いたくなるよね? でもそれから、世界のなにかが変わった。いまなら、偉大な科学者は肌の色にこだわらない。いまそんなことにこだわるのは、ぼくがさっき言った特徴にあてはまる負け組だけだ。 サラザール・スリザリンは当時ならだれもがする間違いをしていた。生まれそだった環境のおかげで信じていただけで、憎む相手を必死に探していたからじゃない。 周囲の人に流されずに正しいことができた人もすこしはいたけれど、そういう人は例外的な善人だった。 でもほかのみんなの考えに追従したからといって、例外的に邪悪な人だったとは言えない。 不幸なことではあるけれど、だれかに指摘されないで倫理的な問題に気づける人はほとんどいない。 そしてサラザールがゴドリックに出会ったときの年齢くらいになると、自分の思考を変えることができなくなってしまっている。 そのころになってやっとホグウォーツができて、それからゴドリックの要求がとおって、マグル生まれにも入学許可をだしはじめた。するとマグル生まれと自分たちのあいだには実は違いがない、と気づく人が増えてきた。 それがいまでは、みんながなにも考えずに信じてしまうことじゃなくて、政治的な対立になってしまった。 マグル生まれは純血より弱くない、というのが正しい答えである以上、 サラザールの信じたことに現時点で賛成してしまうのは、きみのようにとても閉鎖的な純血主義の環境でそだった人か、自分が優越感を感じられる相手を必死で探すみじめな人、つまり憎むことが好きな人だけだ。」

「いや、それは……どこか変だ……」とドラコの口が言った。 ドラコの耳はそれを受けて、もっとましなことが言えないのか、と思った。

「なにが? ドラコ、きみはハーマイオニー・グレンジャーにはなんの問題もないと知っている。 きみは彼女を屋根から落とすまえに、ずいぶんためらったそうじゃないか。 〈落下低速の飲み薬〉を飲んでいるから、落ちても安全だと知っていたにもかかわらず。 なにか彼女にひどいことをされたからではなく、彼女がマグル生まれであるというだけの理由で、彼女を殺そうとするのはどんな人間だ? ただの女の子、一言たのめばよろこんで宿題の手つだいをしにきてくれるような女の子なんだぞ。」  ハリーは声をつまらせた。 「そんな女の子を死なせたいと思うのはどんな人間だ?」

父上なら—— 

自分が二つにわかれて、視野にあるものが二重に見えているような感じがする。『グレンジャーは泥血だから死ぬべきだ』と言っている自分と、屋根から落ちかけた女の子の手をつかむ自分とで、まるで複視のようにして——

「そして、ハーマイオニー・グレンジャーを死なせたくない人たちはみんな、死なせたいと言う人たちの仲間にはなりたがらない! いまのスリザリンはそういう風に見えている。有能な戦略家でも野心家でもなく、マグル生まれを憎むだけだと思われている! このあいだモラグに一シックルあげて、パドマがスリザリンに行かなかった理由を聞いてきてもらった。パドマにスリザリンの選択肢があったのは、知ってのとおりだ。 パドマはモラグを変な目で見て、パンジー・パーキンソンになる気はないから、ってこたえたそうだ。 わからないか? 二つ以上の寮に行けるような優秀な生徒、つまり選択肢のある生徒は、〈帽子〉にむかって『スリザリンだけはいやだ』と言うんだ。だからパドマのような人はレイヴンクローになる。 それに……〈組わけ帽子〉は〈組わけ〉で人数を調整しようとするようだから、あれだけの憎悪に満ちた場所でも気にしない人をスリザリンに送ろうとする。 だからスリザリンには、パドマ・パティルのかわりに、パンジー・パーキンソンがやってくる。 抜け目がなくもないし野心もないけれど、いまスリザリンに起きつつある変化を悪く思わないような人だから。 そうなると、パドマ的な人がさらにレイヴンクローに集まって、パンジー的な人がスリザリンに集まるという流れが加速する。 このままじゃスリザリン寮は崩壊してしまうぞ!」

 

48章「功利主義的優先度」

 蛇語の存在を知り、他の動物も言語を使えて意識を持つのでは?と疑い始める。

 

49章「先験情報」

 クィレル先生と食事。ハリーの蛇語使いがバレる。クィレル先生は蛇に化ける動物師であり、蛇語が使えることが分かる。

 

50章「自分本位」

 ハーマイオニーをいじめる生徒にやや脅かし気味に人の道を諭す。そのことでハーマイオニーから1週間の絶交を食らう。

 

51章「タイトル検閲ずみ(その1)」

 アズカバン脱獄編のはじまり。アズカバンから無実のベラトリクス・ブラックを救出するというクィレル先生の計画に乗ることを決意。

 

・この世界でハリーと同じ水準で頭が良いのはクィレル先生だけであり、それゆえにハリーはクィレル先生に尊敬を抱き、不信を抱きつつ信頼もしている。これが後々の伏線にもなっている。

クィレル先生は……ひかえめに言って、両面性がある人物だ。 この人の目的のうちいくつかは解明できた、とハリーは思っている。だがそれ以外は謎のままだ。

けれど、クィレル先生は、ハリーを召喚しようとしていた何人かを止めるために、二百人の女子をなぎたおした。 ディメンターが杖を介してハリーに吸いついていたことを推理した。 わずか二週間のうちに、二度もハリーの命を救った。

これはただ、ハリーをあとあとのために生かしておこう、というだけのことかもしれない。別の魂胆があるのかもしれない。 いや、あるのはまちがいない。 クィレル先生はこういうことを気まぐれでやらない。 だが、クィレル先生はハリーに〈閉心術〉を身につけさせたし、負けかたを教えてくれた……。もしハリー・ポッターをなんらかのかたちで利用しようとしていたのなら、弱いハリー・ポッターではなく強いハリー・ポッターが必要だったということだ。 味方に利用されるとはこういうことだ。味方どうしなら、相手を弱くするのではなく強くするような利用のしかたをしようとする。

そしてクィレル先生が冷たい態度や、苦にがしげな口調や、空虚な目つきをすることがあるとしても、それはクィレル先生がハリー以外にそういったすがたを晒そうとしないからだ。

ハリーはクィレル先生に対する自分の親近感をどう表現していいか、よくわからないでいた。ただ、クィレル先生はハリーが魔法界でであった人のなかで唯一の明晰な思考をする人物だ、ということは言える。 ほかの人はみんな、遅かれ早かれクィディッチをしたり、タイムマシンに保護ケースをつけなかったり、〈死〉が自分の友だちであるかのように考えたりしてしまう。 遅かれ早かれ、頭脳の奥底の混乱している部分が、おもてに出てくる。というか、早いことが多い。 クィレル先生以外の全員がそうだ。 二人のきずなは、相手に対して負う債務などや、性格的相性などを超えたところにある。二人は魔法界で孤立している。 そして、クィレル先生がときどき怖く見えたり〈闇〉に見えたりすることはあるかもしれないが……ハリーもちょうど同じようなことを言われているのだから文句は言えない。 

「アナタヲ 信頼スル。」とハリーが言った。 

するとヘビは計画の第一段階について話しはじめた。

 

52章「スタンフォード監獄実験(その2)」

 アズカバン到着。ベトリクス・ブラックに対面。

 

53章「スタンフォード監獄実験(その3)」

 つづき。

 

54章「スタンフォード監獄実験(その4)」

 やってきた闇ばらいに対してクィレル先生の放った呪文がハリーの守護霊と干渉してしまい、クィレル先生が倒れる。脱獄計画が進行していたことが本部に発覚。

 

55章「スタンフォード監獄実験(その5)」

 クィレル先生が蛇になったまま動かない中、闇の王のふりをしてベラトリクスを引き連れ、守護霊を維持したまま、追手にどう対処するか考えなければならない。絶望感。本格的な捜査が始まる。

 

56章「スタンフォード監獄実験(その6)——制約つき最適化」

 ダンブルドアもアズカバンにやってきて捜査に加わる。様々な困難が重なるが、必死で解決策を探す。

 

・クィレル先生が動かなくなってしまってから、一人でたくさんの困難を抱えなければならなくなるハリー。

ずるい。ずるい。ずるい! こんなにいくつも制約ができたら、本気で解決不可能になるじゃないか!

ハリーはそういった役に立たない思考を排除し、自分の疲労を無視し、あたらしい要件を直視しようとした。思考の速度が必要だ。ためらいを忘れ、アドレナリンを使ってすばやく論理の鎖をたどる必要がある。絶望はするだけ時間の無駄だ。

任務を成功させるためにはなにが必要か。

(一)ハリーは〈守護霊〉を解除する必要がある。

(二)〈守護霊〉を解除したあと、ベラトリクスをディメンターから隠す必要がある。

(三)〈守護霊〉を解除したあと、ハリー自身もディメンターの作用に抵抗する必要がある。

……

ハリーの脳が話しだした。これに正解できたらクッキーをくれよ。それと、もし問題がこれ以上複雑になったら、そう、ほんのちょっとでも複雑になったら、ぼくはこの頭蓋骨から出ていってタヒチにでもいっちゃうからな。

ハリーとハリーの脳はいっしょに問題にとりくんだ。

アズカバンは何百年ものあいだ破られたことがなかった。すべてはディメンターの凝視を逃れるすべが存在しないからだった。 だからもしベラトリクスをディメンターから隠すもうひとつの方法をいま見つけられるとすれば、きっと科学の知識を使うか、ディメンターが〈死〉であるという認識を使うかだ。

 

57章「スタンフォード監獄実験(その7)——制約つき認知」

 守護霊を使わずにディメンターを追い払い、ダンブルドアの捜索をやり過ごしながらロケットの転成を開始。

 

・ディメンターを追い払うハリー。ここは個人的にはアズカバン脱獄編でも最もアツいシーン。

ベラトリクスは震える声で言った。 「ディメンターは……『ベラトリクス・ブラックはわれわれに約束された獲物だ。やつがどこに隠れたか教えろ。そうすればおまえのことは見逃す』と言っています。」

「ベラトリクスだと?」とハリーは愉快そうな声をだした。「あいつはもうとっくに外にいるぞ。」

そう言ってからすぐに、むしろベラトリクスは最上層の〈闇ばらい〉たちのなかにまぎれている、と言えばよかった、と思った。そうすればさらに混乱を引き起こすことができたかもしれない——

いや、罠に引っかけるという発想はまちがいだ。ディメンターはただ、期待によってコントロールされるだけのものにすぎない——

ベラトリクスが声をつかえさせながら言った。 「『おまえは』……『おまえはうそをついているな』と言っています。」

虚無の群れがまだ動きだした。

ぼくが期待することとは別のことを彼女が確信してしまっている。自覚のないまま彼女がディメンターをコントロールしてしまっている——

「抵抗するな。」と言ってハリーは杖を後方にむけた。

「ご、ご主人さま、愛しています、どうかご無事で——」

「ソムニウム」

奇妙なことに、ハリーは元気づけられた。あの悲惨なことばを聞き、ベラトリクスが勘違いしたことを知って、自分がなぜたたかっているのかを思いださせられた。

「止まれ。」とハリーはもう一度言った。 ベラトリクスはもう眠った。あとはハリー自身の意思、というより期待で、あの殲滅の黒球たちをコントロールすればいい——

だがディメンターたちは進みつづけた。それを見てハリーは、前回の対面で自分の自信がそこなわれてしまったのではないか、だから自分には止めることができないのではないか、と思えてならなかった。そう考えている自分に気づくと、疑念はさらに深まり——もっと準備する時間が必要だ、檻にはいったディメンター一体をコントロールする練習が必要だと——

両者のあいだの距離は通路の四分の一にまでつまり、空虚な風が圧力を増し、ハリーは自分のなかの隙から浸食がはじまったのを感じた。

そして自分はまちがっていたのではないか。もしかしてディメンター自身にもちゃんと欲望と計画能力があるのではないか。いや、実は、そばにいるだれかではなく、みんなの考えるイメージによってディメンターはコントロールされるのではないか。いずれにしろ——

ハリーは杖をかまえ、〈守護霊の魔法〉の開始姿勢をとった。

「おまえたちの仲間が一体、ホグウォーツに行った。そして帰らなかった。 あの一体はもう存在しない。あの〈死〉ディメンターは死んだ。」

ディメンターたちが歩みをとめた。十二の世界の傷ぐちが動かなくなった。それでもディメンターのまわりの虚無の暴風は吹きやまず、うつろな悲鳴をあげつづけた。

「おなじように破壊されたくなければ、引き返せ。そしてこのことは秘密にしろ。」

指を開始位置におき、〈守護霊の魔法〉のためのこころの準備をする。 星ぼしのあいだに光る地球。昼のがわは太陽光を反射して明るく青く、夜のがわは人間の都市の光がきらめく。 ハリーにとってこれははったりではないし、ディメンターを引っかけるつもりもない。 〈死〉の影が一歩こちらに踏みだせば、殲滅するまで。引きさがるならそれもよし……

虚無たちは来たときとおなじようにするりと退却していった。距離がひらくたび空虚な風圧は着実に弱まっていった。そして十二体が階段の上をすべり、すがたを消した。

ディメンターには実は擬似知性があるのか、それとも去ることを期待するのがやっとうまくいったのか……結論はわからない。

とにかくディメンターは去った。

 

58章「スタンフォード監獄実験(その8)——制約つき認知」

 自分はアズカバンに残りロケットでベラトリクス・ブラックとクィレル先生を脱出させることに決める。が、クィレル先生がここで復活し、3人でアズカバンの建物の外へ。ほうきに取り付けたロケットを起動。

 

・アズカバンの建物から脱出する胸熱シーン。ここに限らず、ハリーが魔法界の人々の知らないマグル世界の知識をたくさん持っていることで、雑魚ではない敵をハリーが出し抜くという筋書きに説得力が生まれている。

そして三人は壁の穴にむけて飛びこみ——

——屋外におどりでた。巨大な三角柱をなすアズカバンの内面、ディメンターの奈落の真上。頭上にはくっきりとした青空が見え、太陽の光がまぶしい。

ハリーはホウキの角度をあげ、三角柱の中心をかけあがるように加速した。 左手は手袋をはめ、クィレル先生が〈転成〉した装置に肌に触れないようにしてある。ハリーはその左手を問題のマグル装置の操作スイッチにあてた。

はるか頭上に、怒鳴り声をかけあう人たちがいる。

——おい、そこの原始人ども!——

〈闇ばらい〉たちは高速な競技用のホウキを駆って、ハリーたちを目がけて急降下してくる。各自の杖からはすでに閃光が振り落とされている。

——ちょっと聞け!——

ベラトリクスが『プロテゴ・マキシマス!』とかすれた力強い声で言い、哄笑した。三人はゆらゆらとした青色の防壁につつまれた。

——見えるか?——

アズカバンの中心にある腐敗の奈落から、百体以上のディメンターが浮上した。ある者の目にはいくつもの死体を寄せ集めた飛行する墓場のように見え、ある者の目には無を重ねあわせた巨大な世界の裂け目のように見える。それがなめらかに浮かびあがっていく。

老魔法使いが力強い声でなにかを詠唱すると、白色と金色の爆炎がアズカバンの壁から噴出した。最初不定形だったその炎は、すぐに翼を持った。

——こいつが……——

〈闇ばらい〉たちはアズカバンの結界に組みこまれている〈反反重力の呪文〉を起動した。これはあらゆる飛行呪文を無効化する効果があり、例外は最近変更された合言葉を使ってかけられた魔法だけだ。

ハリーのホウキの浮力がとぎれた。

重力はとぎれなかった。

上昇していたホウキが勢いをうしない、減速し、落下へと転じた。

——おれの……——

だがホウキの方向を安定させ操舵を可能にする呪文と、乗り手をホウキに固定し加速の衝撃をやわらげる呪文とは、まだ機能している。

——ホウキだっ!——

ハリーは点火スイッチを押し、二人乗りのホウキ『ニンバスX200』に融合ずみの、過塩素酸アンモニウム推進剤を充填した固体燃料ロケット、ゼネラルテクニクス製『バーサーカーPFRC』N級を発射させた。

そして音が生じた。

 

59章「スタンフォード監獄実験(その9)——好奇心」

 どうにかアズカバンを脱出。ひとまず一件落着。

 

60章「スタンフォード監獄実験(その10)」

 アズカバン脱出後、クィレル先生と会話。

 

・クィレル先生に謝罪を求められ反論するハリー。過去の議論がこうやって再び取り上げられる場面があることで、物語に深みが出ている感じがする。

冷たく落ちついた声で少年が話しだす。 「いいえ。そう簡単に話の枠ぐみを決められては困ります。 ぼくはそれなりに苦労して、あなたを守りつつアズカバンから安全に連れだそうとした。しかも、あなたが警官を殺しかけるすがたを見てから、そうした。 ディメンター十二体を〈守護霊〉なしで威圧するということまでした。 もし要求どおりにぼくが謝罪していたら、あなたはお返しに感謝する気がありましたか。 それともやはり、あなたが求めたのは服従であって敬意ではなかったんでしょうか。」

間があいてから、クィレル先生が返事した。冷たさと不穏さを隠そうとしていない声だった。 「きみはまだ、負けるべきときに負けることができないと見える。」

暗黒がハリーの両目から出てまっすぐにクィレル先生におそいかかり、餌食にしようとした。 「そういうあなたこそ、いまぼくに負けたほうがいいのではないかと思っていますか? もとの計画に支障をきたさないために、ぼくの怒りにひれ伏すふりをしておこうかと思っていますか? わざと謝罪するふりをすることをちらりとでも考えていましたか? いないでしょう。ぼくもおなじですよ、クィレル先生。」

〈防衛術教授〉は笑った。低く無感動な声で、星ぼしのあいだの虚無よりも空虚な、硬放射線に満たされた真空よりも不穏なひびきがした。 「ミスター・ポッター、やはりきみはまだ、なにも分かっていないようだ。」

「ぼくはアズカバンで、負けることを何度も考えました。 あきらめて、〈闇ばらい〉のところへいって自首することを考えました。 負けるほうが理にかなっていた。 こころのなかで、そうしろと言うあなたの声も聞こえた。もし自分ひとりしかいなければ、そうしていた。 でもあなたをうしなうようなことはできなかった。」

 

61章「スタンフォード監獄実験(その11)——機密と開示」

 ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプが犯人について思案。候補はヴォルデモートかハリー・ポッターだけ。ダンブルドアはヴォルデモートとの戦争の始まりをほとんど確信する。

 

62章「スタンフォード監獄実験(終)」

 ハリーがアズカバンの事件に関わっていないかの検査を無事切り抜ける。ヴォルデモートが復活のための計画を本格的に開始したと考えるダンブルドアは、ハリーをホグウォーツから出さないことに決める。アズカバンの存廃についてハリーとダンブルドアの議論。ハリーと不死鳥フォークスの心が通う。

 

63章「スタンフォード監獄実験——余波」

 事件のその後。様々な人がヴォルデモートの完全復活に備える。クィレル先生のあまりにも多くの顔を見すぎて、もはやハリーは先生を信頼できる師と思えなくなる。

 

・「スタンフォード監獄実験」というタイトルを回収してる箇所。

ハリーはそこで、目をしばたたかせた。ハリーの脳のなかで、ミルグラム実験で起きたことと、ハーマイオニーが〈防衛術〉の初回授業でやったこととがつながった。同級生を攻撃しろと〈権威〉に命令されたとき、ハーマイオニーは拒否した。不安と震えを見せながらも、拒否していた。 それを目のあたりにしながら、ハリーはいままでずっとミルグラム実験とむすびつける発想ができていなかった……。

〔中略〕

その実験では、被験者四十人中、三十七人が最後の四百五十ボルトの『XXX』まで実験をおりなかった。

クィレル先生なら、その事実を冷笑的に受けとるかもしれない。

しかしその四十人のうちの三人は、実験の継続を拒否したのである。

ハーマイオニーとおなじように。

世界には、防衛術教授に命じられても、同級生に〈簡易打撃呪文〉を撃とうとしない人たちがいる。 ホロコーストの時代にも、ときには自分の生命を犠牲にしてまで、自宅の屋根裏にジプシーやユダヤ人や同性愛者をかくまった人たちがいる。

そういう人たちの祖先は人類とは別の種族なのか? 脳のなかになにか、常人にはない特別な神経回路の仕掛けがあるのか? でもそんなことは考えにくい。有性生殖の理論によれば、複雑な機械をうみだす遺伝子はいずれ、修復不可能なまでに混ぜあわされて消えるか、普遍化するかのどちらかだ。

つまりハーマイオニーを構成するなんらかの部品もやはり全体にいきわたっているはずで、人類一人一人がその部品をもっていることになる……

 個人的にはハリーの啓蒙や道徳の理解はナイーブに思える(それは科学理解にも部分的には言えると思う)。それでもハリーの真っ直ぐさには胸を打たれる。

 

64章「オマケファイル四——いろいろな世界で」

 本編と関係ないおまけ。

 

「不死鳥の呼び声」編

 

65章「伝染性のうそ」

 アズカバン脱獄を経て以前のような子どもらしさが消えたハリー。事件以来倒れていたクィレル先生が意識を取り戻す。

 

66章「自己実現(その1)」

 クィレル先生の持ちかけてきた新たな計画を断る。ネヴィルとともに上級生から決闘術を学ぶ。

 

67章「自己実現(その2)」

 模擬戦。ハリーの軍団が服に金属板を仕込むことで無双する。戦闘の最中にダフネ・グリーングラスが覚醒する。

 

・無双するハリーとネヴィル。模擬戦を通じてネヴィルが(主に悪い方向で)ハリーの影響を受けていくのも愉快なポイントの1つ。

「『ソムニウム』!」とアンソニーの怒声がして、一瞬遅れてもう十人ほどがいっせいに「ソムニウム!」と言った。

ハーマイオニーはあわてて自分の体勢をたてなおしていたが、そのあいだ灰色のマントの人影は二人とも、ただ突っ立っていた。

〈睡眠の呪文〉は弱い呪文なので目に見えない——

とはいえ、あれだけの弾幕がすべてはずれるとはとても考えられない。

「『ステューピファイ』!」とネヴィル・ロングボトムがさけび、また赤い閃光が飛んでくる。ハーマイオニーは必死に身をよじって、ぶざまに地面に転がる。それから飛び起き、息を切らして確認すると、ロンが体勢をたてなおす途中で雷撃の犠牲になっていた。

「〈太陽〉軍のみなさんこんにちは。」とハリーがフードをかぶったまま言った。

「われわれは〈カオスの灰色の騎士〉。」とネヴィルの声がした。

「今回はぼくたちがみなさんをお相手する。」とハリー。 「〈カオス〉軍の本隊はいまごろ〈ドラゴン〉軍を虐殺している。」

「ところで……」とネヴィル。「われわれは無敵だからよろしく。」

 

68章「自己実現(その3)」

 マルフォイとハーマイオニーではハリーの相手にならない、とクィレル先生が指摘し、ハーマイオニーのプライドはズタボロに。ダンブルドアと話すことになる。

 

・クィレル先生によるハーマイオニー・マルフォイへの厳しい指摘。

「さて……」とクィレル先生が言う。 近くで見ると、以前この居室で見たときよりも、元気がないように見える。 以前より血色が悪く、動作もすこしだけもたついている。 厳格な表情と、突き刺すような視線は変わっていない。 指がすばやく二度、トトンと机をたたいた。 「こうしてきみたち三人に来てもらったわけだが、ミスター・マルフォイ以外の二人はまだ、今回の招集の理由を分かっていないのではないかと思う。」

〔中略〕

「われわれ二人ではポッター司令官に太刀打ちできなくなったからでしょうね。」とドラコ・マルフォイが小声で言った。

「え?」とハーマイオニーはつい割りこんだ。「あと一歩で勝てたのに。ダフネが気をうしなってさえいなければ——」

「ミス・グリーングラスが気絶した原因は、魔法力の消耗ではなかった。」とクィレル先生が乾いた声で言う。 「きみが壁にぶつかるのを見てきみの配下の兵士たちは動揺した。その隙に、ミスター・ポッターが背後から〈睡眠の呪文〉を撃って彼女をしとめていた。 それはともかく、おめでとうミス・グレンジャー。わずか二十四名の兵力のきみたちがあと一歩で〈カオス軍団〉兵二名をしとめられるとは立派なものだ。」

ハーマイオニーのほおを紅潮させていた血液の温度があがった。 「でも——それはただ——あの防具に気づけてさえいれば——」

クィレル先生は両手の指を自分の目のまえであわせ、彼女をにらんだ。 「もちろん、きみが勝てる方法はいくつもあった。どんな敗者にも、見逃した勝機がある。 世界は勝機であふれている。機会であふれかえっている。型にはまった思考を脱け出すことができないばかりに、ほとんどの人は勝機を見すごしてしまうだけだ。 どんな戦闘でも、どこかで槍に変えられるのを待っているハッフルパフ生の骨が幾千とある。 念のため〈解呪〉を一斉に撃つという発想さえあれば、ミスター・ポッターの鎖かたびら一式の〈転成〉を解き、下着をのこして丸裸にしてしまうこともできていただろう。その点についてはおそらくミスター・ポッターは無防備だった。 あるいは、兵士たちをミスター・ポッターとミスター・ロングボトムに襲いかからせ、物理的に杖を強奪させてもよかった。 いっぽうミスター・マルフォイの行動は、賢明だったとは言いがたいが、すくなくともさまざまな可能性を試す意義を理解していたことは見てとれる。」  皮肉げな笑み。 「だがミス・グレンジャー、きみは不運なことに〈失神の呪文〉の手順をおぼえてしまっていた。もっと簡単で有効な呪文がいくらもあっただろうに、せっかくの記憶力をいかせなかった。 全兵士の期待をきみ一人にゆだねさせたために、きみが倒れた瞬間に士気がうしなわれた。 あとはどの兵士も〈睡眠の呪文〉を撃ちつづけるだけで、ミスター・マルフォイのようにパターンを脱け出す発想ができなかった。 効果がないと分かった手法をいつまでも試しつづける。そういう人は少なからずいるが、わたしには彼らがなにを考えているのかよく分からない。どうやら、別のなにかを試すという発想はとてつもなく稀にしか起きないことらしい。 〈太陽部隊〉が兵士二名に全滅させられたのは、そのせいだ。」  クィレル先生は陰気な笑みをした。 「〈死食い人〉五十人がいかにしてブリテン魔法界全土を制圧したか、という話とも通じるところがある。われらが〈魔法省〉がいかにしてこの国に君臨しつづけているか、ということとも。」

クィレル先生はためいきをついた。 「ともかく、ミス・グレンジャー、きみがそうやって敗戦したのは今回がはじめてではない。 きみとミスター・マルフォイは前回の模擬戦で、連合軍を組んでなお、戦場で決着をつけることができず、きみたち二人がミスター・ポッターを屋根の上で追いかける事態になった。 〈カオス軍団〉は二回連続してきみたち二人の連合軍と同等かそれ以上の能力を示した。 ここにいたって、とるべき措置はひとつしかない。 ポッター司令官、自分の隊から兵士を八名えらべ。八名中すくなくとも一名は士官でなければならない。そのうち四名を〈ドラゴン旅団〉、四名を〈太陽部隊〉に移籍させる——」

「はあ?」とまたハーマイオニーは割りこんでしまった。もう二人の司令官を見ると、ハリーもおなじくらいショックをうけていたが、ドラコ・マルフォイはあきらめ顔だった。

「きみたちはポッター司令官の相手にならなくなった。」  クィレル先生はぴしゃりとそう言った。 「もう彼はきみたちとの勝負に勝った。三軍の兵力を調整して、もっと手ごたえのある対戦相手を彼に用意すべきときがきた。」

「クィレル先生! ぼくは——」とハリーが言いかけた。

「これはホグウォーツ魔術学校〈戦闘魔術〉教師としてのわたしの決定であり、妥協の余地はない。」  クィレル先生の話しぶりは明瞭なままだが、その目のするどさにハーマイオニーは血が凍る思いをした。視線の相手は彼女ではなくハリーだというのに。 「ミスター・ポッター、きみのたたかいぶりには不自然なところがあった。きみはミス・グレンジャーとミスター・マルフォイを孤立させ、屋根上で二人がいっしょにきみを追わざるをえない状況を作りたいと思った。そしてそのタイミングで、ちょうど都合よい程度に両軍を壊滅させることができた。 はっきり言って、最初の回の授業以来、きみがそのくらいの能力を発揮してくれることを、わたしは期待していた。なのに毎回手加減をしながらこの授業にいどんでいたとは、率直に言って不愉快だ! きみの真の潜在能力はすでに見させてもらった。 きみはミスター・マルフォイやミス・グレンジャーと対等にたたかうなどという段階をとうに越えてしまっている。そうでないというふりをすることはわたしが許さない。 これはすべて教師としての専門的な見解だ。 きみは潜在能力を十分に開花させるために、いかなる理由があろうと手加減をしてはならない——とりわけ、友だちに悪く思われたくないなどという、子どもじみた泣き言は認めない!」

 

69章「自己実現(その4)」

 ハーマイオニーは(ダンブルドアによる遠回しな焚きつけもあって)英雄になることを決意。〈魔女のための英雄機会均等振興協会〉(S.P.H.E.W.)を立ち上げる。

 

70章「自己実現(その5)」

 英雄にはなれないというダンブルドアの発言に対して、ハーマイオニーたちが総長室前で抗議。

 

71章「自己実現(その6)」

 ハーマイオニーの仲間たちの間で様々な思い付きや企みが生まれる。スネイプの暗躍。

 

72章「自己実現(その7)——合理的な否認可能性」

 ハーマイオニーらが謎の情報を基にいじめ退治に乗り出し、なんとか成功。ハーマイオニーたちは目をつけられ始める。

 

・いじめ退治の後。ハーマイオニーへの嫌がらせをマルフォイが止める。マルフォイはハリーのせいでもう元の狂信的な純血主義には戻れない、ということが行動をもって証明されたシーン。

ダフネたちがスリザリンのテーブルのクィディッチ選手たちの陣取っているあたりを通過するとき、事件が起きた。

ハーマイオニーが突然つまづいたのだった。どこからか足を引っぱられたように勢いよくつまづき、マーカス・フリントとルシアン・ボウルのあいだの空席に身を投げだし、びちょ、といやな音がした。ハーマイオニーはフリントの皿のステーキとマッシュポテトに、顔から突っこんでいた。

そこからのできごとはとても高速に——ダフネがついていけていないだけだっただけかもしれないが——展開した。フリントがハーマイオニーをどなりつけ、突き飛ばす。ハーマイオニーはレイヴンクローのテーブルのだれかの背なかに当たってはねかえり、床に倒れる——

静寂がさざなみのように広がった。

ハーマイオニーは両手を床につき身を起こすが、完全には立ちあがらず、全身を震えさせている。顔にはまだ、マッシュポテトとステーキのかけらがべっとりだった。

かなりの時間、だれもしゃべらず、だれも動かない。 つぎになにが起きるか、この場のだれにも想像できないかのようだった。ダフネもおなじだった。

フリントが、スリザリンのキャプテンとしてクィディッチ場で指令するときのような力強い、やくざっぽい声で言う。 「おれの食事を台無しにしてくれたな。」

もう一度、凍りつくような静寂。そしてハーマイオニーが顔を——震えているのがダフネには分かった——フリントのほうにむける。

「あやまれよ。」とフリント。

レイヴンクローのテーブルにいるハリー・ポッターが席を立とうとするが、途中でまるで別のことを思いついたかのように、その動きをやめる——

レイヴンクローのテーブルから別の五人が立ちあがる。

スリザリンのクィディッチ選手が全員、杖を手に立ちあがり、グリフィンドールとハッフルパフのテーブルでも何人かが立ちあがる。無意識に〈主テーブル〉のほうに目をやると、総長は座って傍観しているだけだった。ダンブルドアはただ傍観している。片手でマクゴナガル先生を制止する合図のようなことをしてさえいる。つぎの瞬間にはだれかが呪文を撃って手おくれになるかもしれないというのに、なぜなにもしようとしないのか——

「失礼した。」と言う声があった。

声の主のほうにふりむいて、ダフネはショックのあまり呆然となった。

「スコージファイ」と同じなめらかな声で呪文がとなえられ、マッシュポテトがハーマイオニーの顔から消えさった。ハーマイオニーもおどろいた表情で、やってくるドラコ・マルフォイを見ている。ドラコ・マルフォイは杖をしまうと、片ひざを床について、ハーマイオニーに手を貸した。

「申し訳ない、ミス・グレンジャー。」とドラコ・マルフォイは礼儀ただしく言う。 「だれかさんはおふざけでやっているつもりだったようだ。」

ハーマイオニーはドラコの手をとった。そこでダフネは突然、つぎに来るシーンを予想できた——

と思ったのだが、ドラコ・マルフォイがハーマイオニー途中まで支えておいて手ばなすシーンはやってこなかった。

そのままふつうに立たせただけだった。

「ありがとう。」とハーマイオニーが言う。

「どういたしまして。」とドラコ・マルフォイは大声で言う。 「あんなものを狡知や野心だと思われては困るからな。」  どちらに向けて言ったのでもなかったが、四寮の全員が度肝をぬかれた表情でそのすがたを見ていた。

それからドラコ・マルフォイは、まるでなにも特別なことはなかったというかのような態度で、もとの席につく。……いやいや、これは特別どころか——

 

73章「自己実現(その8)——聖と俗」

 再びいじめ退治。完敗しかけるが逆転勝利。

 

74章「自己実現(その9)——紛争の漸次的拡大」

 ハーマイオニーたちに危険が迫る。大惨事になる寸前でハリーとクィレル先生が介入。ハリーの仕込んだ偽の呪文を合図にして、ハーマイオニーたちを取り囲む数十人の生徒たちが天井に吊るされる。ダンブルドアはおかんむり。

 

75章「自己実現(終)——責任の意味」

 英雄の責任について説くハリーと、勝手に干渉するなというハーマイオニー。教師がいじめを厳しく取り締まるようになったという形で、ハーマイオニーたちの活動は一定の成果を上げる。

 

・このエピソードは名シーン尽くしなので引用が多めになる。まずは、ハリーが英雄の責任について説く場面。

「いや……すこしちがうかな……」  ハリーの手がぼさぼさの髪の毛をかきむしる。 「こう言ってみようか。もし四十四人の待ち伏せがいることを事前に警告されていたら、きみはなにをしようとしていたと思う?」

「わたしなら、責任をもってマクゴナガル先生に知らせに行く。そしてかわりに対処してもらう。 そうしてさえいれば、暗闇やら悲鳴やら不気味な青い光やらの出番はなかった——」

だが、ハリーはただくびをふった。 「責任ある行動はそれじゃないんだよ。 それじゃ、責任感ある女の子を演じていることにしかならない。 もちろん、ぼくもマクゴナガル先生に知らせることは考えた。 でも、そうしたとして、マクゴナガル先生はせいぜい一回の衝突をとめることしかできない。 たぶん、なにをたくらんでいるかはもう分かっている、と当人たちに伝えることで、実際にことが起きるのを防げてはいたかもしれない。 襲撃する計画をしたというだけなら、罰は寮点の減点か、せいぜい一日ぶんの居残り作業。彼らからすれば、恐れるに足りない。 そのあとで、つぎの襲撃が起きる。そのときはもっと少人数で構成されていて、情報が漏れにくくなっていて、ぼくも察知できない。 そしておそらく、きみたちが一人でいるときを狙われる。 マクゴナガル先生は立ち場上、きみたちを守るのに必要なだけの示威行為をすることができない——マクゴナガル先生は自分の立ち場でできることしかしない。マクゴナガル先生は無責任だから。」

「マクゴナガル先生は無責任?」  ハーマイオニーは自分の耳をうたがった。両手を腰にあて、ハリーをにらみつける姿勢をとる。 「あなたバカじゃないの?」

「そうだね、英雄的な責任と言えばいいかもしれない。ふつうの意味の責任じゃなく。 英雄的な責任というのはね、なにが起きようがすべては自分のせいだと考えること。 仮にマクゴナガル先生に通報したとしても、責任はマクゴナガル先生に移らない。責任は自分が負ったまま。 『学校の規則に違反してしまう』とか、『あとのことはほかの人にまかせた』とかは、言いわけにならない。『もう自分にできるかぎりのことはした』というのも言いわけにならない。言いわけにできることなどなにもない。なにがあっても結果をだすまでやりとげる必要がある。」  ハリーは表情を引きしめた。 「きみの考えかたが無責任だっていうのはそういう意味だよ、ハーマイオニー。 自分がすべきことはマクゴナガル先生に通報するところまで——英雄ならそうは考えない。 あとはハンナがけがしてもしかたない、もう自分の手を離れたことだから、という風には考えない。 英雄なら、守るためにあらゆる手段をつかう。脅威が完全になくなったと言えるまでは、英雄の役目は終わらない。」  ハリーの声には、フォークスが肩にとまった日に得たらしい鋼鉄のようなかたさがあった。 「規則どおりのことをすれば、それ以上自分のすべきことはない、と思っているようではいけない。」

「どうやら、いくつか意見の相違があるようだけど。 あなたとマクゴナガル先生のどちらがどれだけ無責任なのか、とか、責任ある行動というのは通常阿鼻叫喚をともなうものなのか、とか、学校の規則はどの程度守るものなのか、とか。 でもあなたとわたしの意見があわないからって、あなたが結論を決めていい、ということにはならない。」

「いや、いまのはただきみの質問に答えようとしただけ。ぼくはなにをそこまでいやがるのか……これは意外にいい質問だったから、ぼくは自分自身どう思っているのか、なにを恐れていたのか、ふりかえって考えてみた。 もしぼくがハンナを危機から救う方法があると言ってあげたとして、それが奇妙だったり一見邪悪だったりしたら、きみはそのことにばかり気をとられてしまうかもしれない。なにがあっても、どんな手段をつかってでもハンナの身を守るという、英雄としての責任を負おうとしないかもしれない。 つまり、きみはただハーマイオニー・グレンジャーという良識あるレイヴンクロー生を演じつづけてしまうかもしれない。 その演技をしているかぎりは、仮になにかいいアイデアを思いついても自動的に却下してしまうだろう。 そしてハンナ・アボットは四十四人に滅多打ちにされて、すべてはぼくのせいになる。現実にそうなってほしくないとは思うけれど、そうなることがぼくには分かっていたから。 ぼくが言わなかった……言おうとしても言えないでいた恐怖は、たぶんこういうことだったんだと思う。」

ハーマイオニーのなかにまた、やりきれない気持ちがつのる。 「これはわたしの人生よ!」  思わずそう言ってしまった。この人生にいつもハリーは干渉しようとし、干渉をたくみに正当化して、こちらの反論を受けつけない。事前に一言たずねるだけのことすらしてくれない。このままでいれば、このさきどうなることか。だいたい、ハリーを言い負かさなければならないというのがおかしい。わたしはただ——

「どんな理屈をつけられても、いくらわたしが考えそこねたことがあったとしても、わたしはわたしの人生を生きたい! それができないなら、わたしは降りる。わたしは本気でそう思ってる。」

ハリーはためいきをついた。 「こういう話になってほしくなかったんだけど、やっぱりなっちゃったか。 ぼくらはおたがいおなじことを心配してるんじゃない? きみもぼくに決定権をまかせてしまうと、両方が破滅すると思ってるんだろう。」  ハリーのくちびるの端がゆがんだが、ほんものの笑みのようには見えない。 「それなら理解できる。」

「なにも理解してない! ……二人は対等だって言っておいて!」

その一言が効いたように見え、ハリーはしばらくだまった。

「……じゃあ、こうしようか? ぼくはきみへの余計な手出しになりかねないようなことをするまえにまず、やっていいか聞きにいくと約束する。 ただし、きみも冷静にぼくの言いぶんを聞くと約束するのが条件だ。 真剣にぼくの話を聞いて、二十秒立ちどまって考えて、ひとつの選択肢としてちゃんと検討すること。 ぼくが今回のような提案をしたら、あくまで全員の安全をまもる一手段として、検討すること。きみが軽がるしくことわってしまえばそのせいで現実に被害を受ける人がいる……ハンナ・アボットが病院行きになってしまったりする、ということをよく認識すること。」

ハーマイオニーはじっと見つめていたが、ハリーはそれでひとしきり言い終えたようだった。

「どう思う?」

「わたしがなにか約束してあげる筋あいはない。わたしは、わたしの人生を勝手に変えようとしないで、って言っているだけなんだから。」  ハリーに背をむけ、レイヴンクロー塔にむかって歩きだす。 「でも考えておく。」

*1

 

・善人であることと、手段を選ばず目的を果たそうとすること。

「きみがヒーローになると言った日から、ぼくはずっと見て考えていた。 きみならもちろん勇気は問題ない。 きみはだれも立ちむかおうとしない敵にも立ちむかうことができる。 知性も申し分ないし、人格については、たぶんぼくより善人でもある。 それでも……はっきり言ってしまえば……ダンブルドアのあとを継いで、〈例の男〉との戦争のためにブリテン魔法界を率いる仕事ができるような人には思えない。すくなくとも現時点では。」

ハーマイオニーは思わずハリーをふりかえった。ハリーは考えにふけったように、そのまま歩きつづけている。 ダンブルドアのあとを継いでブリテン魔法界を率いる? そんなことをしようなんて考えたこともなかった。 そんなことをしようと考える自分すら、想像できない。

「もしかすると、ぼくがまちがっているのかもしれない。 児童書の主人公は常識的なことをいっさいせず、規則をやぶってばかりで、先生に頼ろうともしない。そういう本を読みすぎて、物語を現実にあてはめようとしてしまっているだけかもしれない。 きみはおかしくなくて、ぼくがおかしいだけかもしれない。 でも、規則を守るとか先生に頼むとかいうせりふを聞かされるたびに、ぼくはいつもおなじことを考えてしまう。きみはその最後の一歩を踏みだせないばかりに、PCプレイヤー・キャラクターとしての自我を眠らせて、NPCに逆もどりしてしまうんじゃないか、と……」  ハリーはためいきをついた。 「きっと、ダンブルドアがぼくにいじわるな養父母をあてがおうとしたのも、おなじ理由なのかな。」

「……は? いじわるな養父母?」

「そう。あれは冗談で言っていたのか本気なのか、いまだに分からないんだけど…… 実を言うと、ある意味まちがってはいないんだ。 両親は愛情をもってぼくをそだててはくれたけれど、ぼくはいつも、二人の判断にまかせていて安心できる気がしなかった。十分まともな判断をしてくれると思えなかった。 自分自身でとことん考えなければ、痛い目を見るのは自分だと思っていた。 マクゴナガル先生は、手段をえらばずに結果をだせと言われれば、きっとやってくれるだろう。でもそういう風にヒーローから命じられないかぎり、自分の意思で規則をやぶろうとはしない。 クィレル先生は逆で、まさに手段をえらばずに結果をだそうとするタイプの人だ。ぼくが知るかぎり、クィディッチをだいなしにしているのがスニッチだとかいうことに気づける人はほかにいない。 ただ、あの人が善人なのかというと、ぼくはとてもうんとは言えない。 残念ではあるかもしれないけれど、それが、ダンブルドアが英雄と呼ぶ人を生む条件のひとつでもあるんだと思う——ほかに責任を押しつけるべき相手がいないから、すべてを自分でかたづける習慣ができている種類の人たちを。」

ハーマイオニーは声にだしては言わなかったが、ゴドリック・グリフィンドールの簡潔な自伝の末尾ちかくにあった一節のことを思いだした。 ごく短い一節で、解説もなにもついていなかった。マグルの印刷機械も、それに触発されて魔法族がつくった〈自動書写ペン〉もまだない時代、巻き物は人間の手で書き写すものだったから。

——『救い手に救い手はなく、 王者に庇護者はなく、 高みには父も母もなく、 ただ無あるのみ。』

それが、英雄になるための代償なのだろうか。だとすれば、自分はほんとうにそれを支払っていいと思っているだろうか。 いや、もしかすると——ハリーの相手をするようになるまえの自分だったら、思いもしないことだろうが——そんな考えはゴドリック・グリフィンドールの思いこみにすぎないのだろうか。

 

・スネイプからの罰と、クィレル先生からのプレゼント。その後の色々を考えるととても良いシーンとは言えないが、それでもここは名シーン。

スネイプ先生は激しい怒りと復讐を果たす喜びにゆがんだ表情をしていて、どんな〈闇の魔術師〉の肖像画にも負けないほどだった。 そのうしろの〈主テーブル〉で、のこりの教師陣は石像のようになって傍観している。

「——永久に解散とする。本校は今後その自称〈協会〉組織の存在を許可しない。わたしの教授としての権限でそう命じる! 〈協会〉会員は今後いっさい校内の廊下で戦闘行為をしてはならない。一度でもそれが見とがめられたあかつきには、グレンジャー、おまえ個人に退学というかたちで責任をとらせる。 これはホグウォーツ魔術学校教授としての命令だ!」

一年生女子はそのまま動かない。この場に立つのははじめてではないが、これまでは表彰などでほめられるために呼びだされたことしかなかった。今回はケンタウロスの弓のごとく胸をそらし、敵に対して一歩も引かない姿勢をとっている。

内面にいくら涙と怒りがたまろうとも、表情は微動だにしていない。ただ、自分のなかですこしずつなにかが壊れはじめるのを感じてもいる。

スネイプ先生はさらに、校内暴力に対する罰として彼女に二週間の居残り作業を課した。その軽蔑と嘲笑の表情は、〈薬学〉の初回授業のときとおなじようにわずかにゆがんでいた。彼自身、この仕打ちがいかに不公平であるかが分かっている証拠だ。

レイヴンクロー寮から百点減点、と宣言されたところで、こころのなかの小さな亀裂にすぎなかったものが進行し、ぱっくりと割れた。

それが終わったところで、「さがれ。」というスネイプのことばが聞こえた。

うしろを向き、レイヴンクローのテーブルに目をやると、ハリー・ポッターがじっと席についているのが見えた。表情までは見えないが、両手はテーブルの上に乗っていた。ハーマイオニーの手とおなじように、きつく握られているのかどうかまでは分からない。 スネイプ先生からの呼び出しがあった時点でハーマイオニーはハリーに耳打ちし、なにも言わずに勝手なことはしないようにと念押ししてあった。

ハーマイオニーがそのまま一回転して〈主テーブル〉に向きなおったとき、スネイプは自分の席にもどろうとしていた。

「『さがれ』と言ったはずだが。」と、またあざ笑う声。ただ、こんどは口角もあがっている。こちらがなにかするのを期待しているように——

ハーマイオニーは五歩まえに出て〈主テーブル〉に近づき、震える声で「総長?」と言った。

大広間全体がしんとなった。

ダンブルドア総長はなにも言わず、動かない。ほかの先生とおなじく、石像になったかのよう。

フリトウィック先生のほうに視線をうつすと、テーブルの上には頭頂部が見えるかどうかでしかなかったが、うつむいて自分のひざを見ているようだった。 となりのスプラウト先生はひどく緊張した表情で事態を見とどけようと努力しているようだったが、震えるそのくちびるからは、やはりなにも聞こえてこない。

副総長マクゴナガル先生の席は空席。今朝は一度も顔を見せていない。

「なぜ黙っているんですか?」  ハーマイオニー・グレンジャーは一縷の望みに託し、震える声で必死に助けを求める。 「この人がどれだけ理不尽なことをしているか、あなたたちも分かっているでしょう!」

「反省の色が見えんな。もう二週間だ。」

壊れかけていたなにかが粉ごなになる。

もう一度〈主テーブル〉の列を見わたし、フリトウィック先生とスプラウト先生と空席のままのマクゴナガル先生の席を見てから、 ハーマイオニー・グレンジャーはレイヴンクローのテーブルにもどっていく。

硬直がとけた生徒たちのあいだで、ぽつぽつと話し声がしはじめた。

それから、レイヴンクローのテーブルまであと一歩というところで——

ほかのすべての音を押しのけて、クィレル先生の乾いた声が聞こえてきた。 「正しくあった褒美として、ミス・グレンジャーに百点。」

それを聞いてハーマイオニーはつまづきそうになったが、持ちなおして歩きつづけた。うしろではスネイプが怒ってがなりたて、クィレル先生が椅子の背にもたれて笑いだす。ダンブルドアもなにか言っているが、内容まではよく聞こえない。そういった声を背にハーマイオニーはレイヴンクローのテーブルにたどりつき、ハリー・ポッターのとなりの席に腰をおろした。

 

76章「告白者の幕間劇——埋没費用」

 ハーマイオニーたちのいじめ退治はスネイプが裏で暗躍していた。

 

77章「自己実現(余波)——見かけ」

 これまでの事件で、ハーマイオニーへの敵意をガス抜きしようとしたダンブルドアの策謀にハリーがことごとく介入したため、ハリーとダンブルドアが言い合いをする。ダンブルドアが、自身の後悔を込めた戦死者の弔い部屋をハリーに見せる。ハーマイオニーは謎の怪人に警告を受ける。

 

78章「交換不可能な価値(序)——不正」

 模擬戦。ハリーが魔法薬の秘密に気づいてまたしても特殊な戦略を思いつく。一方でハーマイオニーはなぜかマルフォイを執拗に攻撃して勝利。これを受けてマルフォイはハーマイオニーに決闘を申し込む。翌朝、ハーマイオニーがマルフォイ殺害容疑で逮捕される。

 このハーマイオニー逮捕から、物語は急速にシリアスになっていく。

 

79章「交換不可能な価値(その1)」

 事件を受け、ダンブルドア、マクゴナガル、ハリーで話し合い、捜査を開始。だがハーマイオニーの無罪を勝ち取れるような証拠は掴めない。

 

ハーマイオニーの噂をする生徒たちに怒るハリー。

「全員だまれ!」と言いながら、ハリー・ポッターが両手をまるめてテーブルを激しく打ち下ろし、テーブルの上の皿が音をガチャリと音をたてた。

こういうときでもなければ教師たちからハリーに一言あっただろうが、今回は近場の生徒数人が目をむけただけだった。

「ぼくはさっさと昼食をすませて、捜査にもどりたかったから、話にくわわらないようにしてたんだけど、一言だけ。 みんなもうちょっと冷静になったらどうなんだ。あとで真実があきらかになったら、無実の二人にひどいことを言ってしまったと後悔するよ。 ドラコはなにもしていない。ハーマイオニーもなにもしていない。二人とも〈偽記憶の魔法〉をかけられた。それだけのことなんだよ!」  最後の部分は大声になっていた。 「それだけのことに、なんでだれも気づかないんだ?

「それが通用すると思うのかよ?」とケヴィン・エントウィスルがすぐに反応する。 「犯人はいつもそう言うんだ! 『おれはやってない、ぜんぶ〈偽記憶の魔法〉のせいだ!』って。だれがそんなのを鵜呑みにするんだよ?」

それを聞いてすかさずモラグが上から目線でうなづいた。

そのときハリー・ポッターの顔によぎった表情を見て、パドマはびくりとした。

「なるほど。」とハリー・ポッターは言う。こんどは大声ではなく、やっと聞こえる程度の声。 「クィレル先生がいたら人間がなぜこれだけバカになるのか説明するところだろうけれど、今回はぼく一人でやってみよう。 人間はバカなことをして、それがばれて捕まって、〈真実薬〉を飲まされることがある。 でも大犯罪者と言われるような人はそうそう捕まらないし、捕まっても〈閉心術〉で切りぬける。 無能でへたくそな犯罪者だけが捕まって〈真実薬〉を飲まされて犯行を自白させられる。それから、アズカバン行きをのがれようと必死になって、〈偽記憶の魔法〉にかけられていたんだと言いだす。そういうことだろう? すると人間の脳はパヴロフ的な連想をはたらかせて、〈偽記憶の魔法〉という概念と真っ赤なうそを言う無能犯罪者という概念とをむすびつけるようになってしまう。 なにを聞いても、細かい情報を考慮するまでもなくパターンマッチをするだけですませて、自分が信じていないものの箱にほうりこんで終わりにしてしまう。 ぼくのパパはバカな人たちが魔法の話をするのを聞いていて、だから魔法が実際にある可能性なんか信じられるものかと思っていた。それとおなじで、 きみたちは〈偽記憶の魔法〉が関係する可能性を信じるのは『低俗』なことだと思うんだろうね。」

「なにわけのわからないこと言ってんの?」とモラグが見下すように言った。

「自分はハリー・ポッターだから信じてもらえると思ってるんだろうけど、それがグレンジャーを〈闇〉に転向させた張本人じゃあねえ?」  そう言ったのはレイヴンクローの上級生だが、パドマの知らない顔だった。

「そういう風に……」  ハリー・ポッターは妙に落ちついた声で言う。 「とんでもないことを信じる非論理的な魔法族がいるのもしかたないことだと思う。 以前そのことでクィレル先生に愚痴を言ったら、逆にマグルだってそれ以上にとんでもないことをいくらでも信じているし、ぼくも人並の育ちかたをしていればそうなる、と言われた。 ふつうの人間はそういうことをしてしまうものだし、してしまう人が特別悪い人間だとはいえない。しかたないことだと思う。」  そう言って〈死ななかった男の子〉は腰をあげた。 「ではぼくはこれで。」

ハリー・ポッターはその場の全員をあとにして去った。

 

80章「交換不可能な価値(その2)——角効果」

 ウィゼンガモートの議場でハーマイオニーの裁判が始まる。ルシウス・マルフォイがハーマイオニーのアズカバン行きを要求し、ダンブルドア陣営は抵抗するが押し返せず。ついにハリーが参戦し、暗黒面を発動。

 

・ハリーが法廷でのバトルを開始。

〈真実薬〉の効果が薄れつつあるらしく、ハーマイオニー・グレンジャーの様子は変わりつつあった。弛緩していた表情はわずかにゆがみはじめ、鎖につながれた手足ははっきりと震えている。椅子から逃げだそうともがく手足が、魔法の鎖の巨大な重みに上から押しつけられているように見える。 そこでハーマイオニーは首をがくがくと動かして、やっとのことでハリーと目をあわせ——

ハーマイオニー・グレンジャーの目はこれ以上なく明瞭に、ひとつのことを訴えていた。

——ハリー——

——たすけて——

つぎの瞬間、〈元老の会堂〉に氷のような声が—— 液体窒素の色をした温度と裏腹に若い声が響いた。 「ルシウス・マルフォイ。」

◆ ◆ ◆

列席する人びとはかなりの時間をかけても声のぬしを探しだすことができなかった。 声がわりまえの高い声であったとはいえ、子どもがそのようなことを言うとは予想しがたい。

人びとが声のぬしを見つけられないうちに、マルフォイ卿が応答した。

ハリー・ポッター。」  ルシウス・マルフォイはそう言ってから、目礼しなかった。

人びとの顔と目が反応し、涙目の魔女のとなりの、髪のみだれた少年に注目があつまる。 少年は黒の礼服ローブを着て、靴をはいて立っているが、胸より下は机に隠れている。 遠くの席からではよほどの視力なしには見えないが、みだれた髪の下には有名な傷あとがある。

「ルシウス、あなたには失望させられた。」と少年が言う。 「十二歳の女の子が殺人をする可能性は低い。 あなたはスリザリン出身で、知性もある。この事件には裏があると分かっているはずだ。 ハーマイオニー・グレンジャーは何者かの謀略にむりやり参加させられた駒にすぎない。 あなた自身のそのふるまいさえ、まちがいなく謀略の筋書きに書かれている——ただし、ドラコ・マルフォイは本来死ぬはずで、あなたは完全にわれをうしなっていたはずだった。 実際にはドラコ・マルフォイは生きていて、あなたは正気だ。 なのにあなたはわが子を殺すはずだった謀略に迎合するような態度をなぜとりつづけるのか?」

〔中略〕

「もうよい! その手の欺瞞は聞き飽きた! その手のゲームも聞き飽きた! 貴君は——おまえは——息子がわたしにとってどんな存在であるかを知らない! 今回こそは、仇を討つ機会をとりあげられてなるものか! マルフォイ家へのこの血の債務、当人にアズカバン行きをもってつぐなってもらう。 もしほかに首謀者が見つかれば——たとえそれがおまえであろうとも——おなじ目にあわせるまでだ!」  そう言って、ものものしい銀色のステッキを命令するように振りあげ、ドラゴンに立ちむかうオオカミのように歯をむきだしにする。 「ほかに言えることがないなら——口をつつしめ、ハリー・ポッター!」

〔中略〕

「それくらいでよろしいんじゃありません?」とピンク色の厚化粧の女性が声をかける。 「もうずいぶん時間をかけましたし。その子も学校の授業があるでしょうし。」

「ごもっとも。」と言ってから、ルシウス・マルフォイはまた声を大きくする。 「では、挙手で採決としましょう。 初代グレンジャー、ハーマイオニーが犯したドラコ・マルフォイ殺人未遂事件により、〈元老貴族〉家マルフォイ家は血統断絶の危機にさらされた。よって彼女は当家へ血の債務を負う。以上に賛成のかたは挙手を!」

つぎつぎと手があがり、最下段の円のなかにいる書記官が票を集計していく。しかし賛否のどちらが多数であるかはひとめで分かった。

ハリーはこころのなかで、自分の一部たちになにか抜け道を、戦略を、アイデアをだしてくれとわめく。 わめいても、なにもでてこない。最後の切り札はもう使ってしまったのだから。 あとはこれを試すしかないと思い、なりふりかまわず自分の暗黒面に飛びこみ、その冷徹な精神をつかまえて、なにと引き換えにしてでもいいからこの問題をといてくれと頼みこむ。 暗黒面がその呼びかけにやっとこたえて、氷のような落ちつきをもたらす。 パニックと絶望を乗りこえて、ハリーの頭脳が手もちのあらゆる情報を吟味しはじめる。ルシウス・マルフォイに関する記憶のすべて。ウィゼンガモートに関する記憶のすべて。ブリテン魔法界に関する記憶のすべて。目は椅子の列を見わたし、視界のなかにいる人間と人間以外のものすべてのなかから、利用できるなにかを見つけだそうとする——

 

81章「交換不可能な価値(その3)」

 ハリーによる反撃。ルシウス・マルフォイは法外な額をハリーにふっかけ、ハリーはそれに応じ、ダンブルドアとひと悶着。その上でルシウスはさらに難癖をつけたため、最終的にマクゴナガル先生が介入し、ハーマイオニーをポッター家に服従させる儀礼を行うことで法廷劇はひとまず決着。さらにハリーはディメンターを脅かして議場の全員の度肝を抜く。

 

・マルフォイの要求を呑むハリーと、それを却下するダンブルドア。アズカバンのディメンターを消滅させるとダンブルドアを脅すハリー。

「その条件で結構です。」  その声には、なんのためらいも、決断をした形跡すらも感じられなかった。内部でおこなわれた論争などたんなる想像の産物でしかなく、声を支配する部分のハリーとは無関係のできごとだと言うかのように。

平静をよそおっていたルシウス・マルフォイの仮面が壊れた。ルシウス・マルフォイは目を見ひらき、ただ信じられないというようにハリーを見つめる。口がわずかにあいているが、声はでていない。仮にでていたとしても、議員たちがそろって息をのむ音の大きさに負けて、だれの耳にもとどきそうにはなかったが。

コンと石を打つ音がして、群衆が静まった。

「却下する。」とダンブルドアの声がした。

ハリーはぱっと振りむいてダンブルドアを凝視した。

ダンブルドアは血の気が引いた顔つきで、銀色のひげは見てわかるほどに震えていた。不治の病に倒れ、死の間際にあるようにさえ見えた。 「すまない——きみにはまだ、その選択をする権限がない——法的な後見人として、きみの金庫の管理権はわしにある。」

「な……?」  ハリーは衝撃のあまり、まともに言いかえすことができない。

「ハリー、きみがルシウス・マルフォイに対する負債を負う状況だけは看過できん! きみはまだ知らない——それが——それがどう利用されうるかを——」

死ね。

〔中略〕

「ハリー、これだけは!」  ダンブルドアの声からは、はっきりと苦悶が感じとれる。 「わかってくれ、こうするしかないのじゃ!」

それを聞いて、フォークスを見て、ハリーも自分がすべきことがなんであるかを知った。 この方法には最初から気づいているべきだったとも思った。

「そうすると、ぼくとしても選択肢はかぎられてきます。」  ハリーはダンブルドアと二人だけで話すように言う。 「なんのことだか分かりますね?」

ダンブルドアは小刻みにくびをふる。 「きみもいずれ、これでよかったのだと思うようになる——」

「将来の話じゃありませんよ。」  やはり自分の声が奇妙に感じる。 「なにがあろうと、ハーマイオニー・グレンジャーをディメンターのえさにはさせません。 違法だろうがなんだろうが、ぼくはなにをしてでも止めるつもりです。もっとはっきり言わないと分かりませんか?」

どこか遠くで、男性の声がした。 「アズカバンへはここから直接送れ。護衛も多めにつけておけ。」

ハリーはダンブルドアを見つめたまましばらく待ち、また話しだした。 「ハーマイオニーが着くまえに、ぼくがアズカバンに先まわりして、指を鳴らしはじめます。 ぼくは結果的に死ぬかもしれませんが、ハーマイオニーが着くころにはもう、アズカバンはなくなっています。」

議員が何人か、はっとして息をのんだ。

それよりも笑いだした人のほうが多かった。

「行けるものならな?」と笑い声のなかからだれかが言った。

「ぼくなりの移動方法があります。」と遠い声で言いながら、ハリーは目をダンブルドアから離さない。ダンブルドアは愕然としてハリーを見ている。 フォークスのほうを見ればそうと気づかれてしまうだろうから見ないようにしていたが、こころのなかではフォークスに自分を転移させる準備をした。こころのなかを光と怒りでいっぱいにすることで、フォークスを呼ぶ準備をした。ダンブルドアが杖をつかおうとしたなら、すぐに対応できるように——

「……どうしてもか。」とダンブルドアがハリーに言った。まるで二人をおいてほかにだれ一人この部屋にいないかのような言いかただった。

会堂全体がまたしんとして、全員が愕然とした表情で、ウィゼンガモート主席魔法官ダンブルドアに注目した。だれもが、この老人はなにを考えてこんな荒唐無稽な脅迫を真にうけるのだ、という表情をしていた。

ダンブルドアの目はハリーだけを見ている。 「彼女一人のために、すべてを——すべてを犠牲にしてもいいというのか?」

「はい。」

それは不正解だぞ、勘弁してくれよ——とスリザリンが言った。

でも真の解はこれだけだ。

「考えなおす気はないのじゃな?」

「ないですね。」

二人の視線があわさったまま、止まった。

「これは愚行以外のなにものでもない。」と老魔法使いが言った。

「それも承知のうえです。」と対するヒーローが言う。 「だからこれ以上邪魔しないでください。」

老魔法使いの青い目が一度、奇妙な光りかたをした。 「やむをえん。しかしこの一件、このままでは終わらせんぞ。」

二人以外の世界がまた動きだす。

「さきほどの異議は取り下げる。」とダンブルドアが言う。 「後見人として、今回はハリー・ポッター当人の判断を追認する。」  それを聞いてウィゼンガモート全体がどよめき、もう一度石の短杖の音があってやっと静まった。

ハリーはマルフォイ卿のほうに顔をむけた。 マルフォイ卿は、ネコが人間に変身してほかのネコを食べはじめるのを見たときのような表情をしていた。 困惑の一言では到底言いつくせない表情だった。

 

・ディメンターを脅かして往生際の悪いマルフォイ陣営を黙らせるハリー。

「ふざけるな!」  ルシウス・マルフォイは銀髪をふりみだし、怒りで色をうしなっている。 「こんなことをしてただですむと思うか? この娘はわたしの息子を殺そうとしたのだぞ。それが無傷で放免されるとでも思うのか?」

カエルに似たピンク色の女性(名前はもう思いだせない)が立ちあがって言う。 「もちろんすむはずがありませんわ。」  いやらしい笑み。 「その子が殺人鬼であることにかわりはありませんし。〈魔法省〉としても、殺人鬼を野放しにするなどもってのほか——これからはぜひとも厳重な監視をつけてあげませんと————」

こういう話にはもううんざりだ。

そう思ってハリーはつづきを聞くのをやめて、来た道をすたすたともどっていき——

ぼろぼろのマントと対面した。マントのなかには、ハリーだけが真に見ることのできる色と空間の欠如、世界の傷ぐちがある。となりに月光色のリスと銀色のスズメがついているが、どちらも番人としての実効性は薄い。

ハリーの暗黒面はこのときまでに、会堂のなかに武器として使えそうなものがないかチェックしていた。そして敵が愚かにもディメンターをハリーの目のまえに持ちこんでいたことに気づいていた。 ディメンターは強力な兵器である。ハリーはその兵器を持ちぬしよりもうまく使うことができる。 実際、アズカバンでは十二体のディメンターに去れと命令し、そうさせることができた。

ディメンターは〈死〉であり、〈守護霊の魔法〉は幸せなことを考えて〈死〉を考えないようにすることで効果を発揮する。

ハリーの考えがただしければ、この一文をハリーがくちにするだけで〈闇ばらい〉の〈守護霊〉はシャボン玉のようにはじけて消え、これを聞いた人はみな、二度と〈守護霊の魔法〉を使うことができなくなる。

『ぼくはこれから〈守護霊の魔法〉を無効化し、だれにも〈守護霊〉を使えないようにします。 それからぼくが命じれば、ディメンターはホウキよりも速く飛び、十二歳の女の子をアズカバンに送る票を投じた人たち全員に〈口づけ〉します。』

まずそういう形式で条件つきの予言を言って、みながそれを理解して笑うのを待つ。 そのつぎに肝心の、破滅的な真実を告げたところで、予言を証明するように〈闇ばらい〉の〈守護霊〉が消える。するとそれを目撃した人たちのこころのなかにディメンターのつぎの行動への期待が生じ……その期待によって、あるいはハリーからの脅迫に負けて、ディメンターはハリーの命令どおりに動く。 暗黒と取り引きした者は、いずれ暗黒にのみこまれる。

これがハリーの暗黒面が用意した代替案だった。

背後から息をのむ音が聞こえてくるのを無視して、ハリーは〈守護霊〉二体の防衛線を越えて、〈死〉の一歩手前まで近づいた。 巨大な浴槽の栓を抜いたときのように、ハリーのまわりでむきだしの恐怖が渦をまく。しかし同時に、偽の〈守護霊〉のフィルターがなくなったおかげで、ディメンターだけでなくハリーもおたがいに直接触れることができる。ハリーはその真空の中心を見すえて——

星ぼしのなかに浮かぶ地球

ハーマイオニーを救うことができたときの達成感

こいつの本体そのものが撲滅される未来

そういった思いから生まれる〈守護霊の魔法〉のための銀色の感情をディメンターに投げつけ、ディメンターが逃げていくすがたを期待し——

——同時に両手をあげて、ワッと声をあびせてディメンターをおどかした。

虚無はさっと引き下がり、黒石の壁ぎりぎりまで退潮した。

会堂全体が死人のようにしんとした。

ハリーは虚無に背をむけ、上の段にいるカエル女を見あげた。化粧の下の肌は青ざめ、口だけがぱくぱくと動く。

「取り引きをしましょうか。あなたは今後いっさいぼくやぼくのものに手をださない。ぼくはこの不死の怪物がなぜぼくを怖がるのかを教えない。文句はないですね?」

カエル女は無言でへなへなと長椅子におさまった。

ハリーはさらに上の段に顔をむける。

「謎かけです、マルフォイ卿!」  〈死ななかった男の子〉の声が〈元老の会堂〉全体にひびく。 「レイヴンクロー出身でなくとも、一度考えてみてください。 〈闇の王〉を倒し、ディメンターを怖がらせ、あなたに六万ガリオンの負債を負うものといえば?」

一瞬、マルフォイ卿はすこしだけ目をみひらいたが、すぐに侮蔑の表情にもどり、冷たい声で返事した。 「それはおどしのつもりかね、ミスター・ポッター?」

「おどしじゃありませんよ。おどかしているだけです。」

 ここは一連の法廷劇の中で一番興奮した。

 

82章「交換不可能な価値(終)」

 苦い経験の末に、人を駒として扱うことに慣れてしまったダンブルドアと、それに反論するハリーの言い合い。

 

・法廷でルシウス・マルフォイが法外な額をふっかてきたとき、ハリーはそれを受け入れ、ダンブルドアはそれを却下した。ダンブルドアはハリーがいかに愚かな決断をしたか諭すが、ハリーに反論され深く反省する。その口論の後での、ハリーの思考。

ある金額の出費をして一人の命を救える可能性に賭ける判断をするたびに、ひとは人間の命の値段に下限を設定している。 ある金額の出費をして一人の命を救える可能性に賭けない判断をするたびに、ひとは人間の命の値段に上限を設定している。 その上限と下限に一貫性がないなら、ある場所から別の場所に資金を移動するだけで救える命の量が増える。 つまり、有限の資金でできるかぎり多くの人命を救いたいなら、人命に一定の値段をつけて、いつもその金額と矛盾しない判断をしなければならない。そうできていなければ、最適化の余地が生じてしまう。 おかねと命を比較することなど倫理上もってのほかだ、と言って怒りだす人たちは哀れだ。表面的には倫理を尊重していながら、その実、最大の数の人命を救う戦略を禁じてしまっているのだから……。

おまえはそれを知りながら、ダンブルドアにあんなことを言った。

おまえはその必要もないのにダンブルドアを苦しめようとした。

ダンブルドアのほうは一度もおまえを苦しめようとしていないのに。

ハリーは顔を両手にうずめた。

なぜあんなことを言ってしまったのか。あの老人はすでにだれにも耐えられないほどの苦しみを受け、戦ってきた。たとえその発言がまちがっていたにしろ、あれだけの苦労をした人をさらに苦しめていいのか。 なぜハリーのなかの一部分は、ダンブルドアを相手にするときにかぎって、歯止めがきかなくなり、暴言をはいてしまうのか。なぜダンブルドアから離れるとすぐにその怒りがおさまるのか。

ダンブルドアは反撃しない。そう分かっているからでは? ダンブルドアはどれほど不当なあてつけをされても実力行使をしようとしない。おなじだけの暴言をかえそうともしない。 おまえは反撃しようとしない相手にはそういう態度をとる人間なんじゃないか? ジェイムズ・ポッターのいじめっこ遺伝子がついに発現したのかもな?

ハリーは目をとじた。

あたまのなかに聞こえる〈組わけ帽子〉のような声——

その怒りの真の理由はなんだ?

おまえはなにを恐れている?

ハリーのこころのなかに走馬灯のように映像が流れていく。 両手に顔をうずめて泣く過去のダンブルドア。 大きく威圧的に見える現在のダンブルドア。 鎖で椅子につながれたハーマイオニーがハリーに見捨てられてディメンターの餌食になるところ。 長い銀髪の女性(夫婦そろってそういう髪の毛だったのか?)が寝室で炎につつまれるところ。そのまえに突きつけられた杖と、半月眼鏡に反射する炎の光。

アルバス・ダンブルドアは自分よりハリーのほうがこの手のことにうまく対処できる人間だと思っているようだった。

そしてそれはおそらく正しい。 ハリーはそのための数学を知っている。

しかし、功利主義的倫理を信奉する人でも、なぜか現実に銀行から現金をうばって貧困者にばらまくという行動はとらない。 現実には、倫理的な制約をとっぱらったさきにバラ色の未来はない。 帰結主義の教えにならえば、差し引きで最良の結果へとつながる選択肢をとるのがただしく、一点ではよい結果があってもそれ以外すべての点で破滅的な選択肢をとってはならない。 期待効用を最大化するための期待値の計算でも、常識を考慮にいれることは許される。

ハリーは不思議とだれから言われるでもなく、このことを理解していた。ウラジーミル・レーニンの伝記やフランス革命についての本を読む以前から分かっていた。 善意の人間の危険性を教える初期のサイエンスフィクションを読んだせいだったかもしれないし、自分一人で見つけることができていたのかもしれない。とにかく、自分の倫理のたがをはずしていい理由が見つかるたびにそうしていては、ろくな結果にならない、ということをハリーは理解していた。

すると最後にもう一つ、リリー・ポッターが赤ん坊のベッドの横で二つの選択肢のさきにある未来を推定している場面の映像が見えた。 一つ目は、その場所に立ちふさがったままで呪いを撃った場合の未来……リリーは死に、ハリーも死ぬ。二つ目は、道をあけた場合の未来……リリーは生き、ハリーは死ぬ。二通りの期待効用を計算してみれば、合理的な選択肢は一つ。

その選択肢をとっていれば、リリー・ポッターはハリーの母でいられた。

「でも人間は、そういう風にできていない。」  少年は無人の教室にむけて、つぶやいた。 「……そういう風にはできていない。」

 ここは、善の側、穏健で思慮深い側にいるダンブルドアと、明らかに暗黒面が見え隠れしておりいろいろ暴走気味なハリー、という構図が逆転する劇的なシーン(とはいえ、作品全体を通じてハリーによるダンブルドアの評価もハリー自身の考えも揺れ動くことに注意)。「交換不可能な価値(タブー・トレードオフ)」のタイトル回収にもなっており、非常に好きなシーン。

 

83章「交換不可能な価値——余波(その1)」

 授業に戻るハリーとマクゴナガル先生。ドラコ・マルフォイの退学届けが届く。

 

84章「交換不可能な価値——余波(その2)」

 病床で様々なことを考えるハーマイオニー。一方、一連の事件との関係で取り調べを受けいてたクィレル先生は、闇の王と戦い消息を絶ったとある人物だということが明らかとなる。ハーマイオニーは学校に戻るも、ほとんどの人がハーマイオニーを冤罪とは見なしていない。そしてクィレル先生がハーマイオニーに転校を勧める。

 

・自分の過去について語りながら、ハーマイオニーに転校を勧めるクィレル先生。

「わたしは昔、英雄になろうとしていたことがある。……信じられるかね、ミス・グレンジャー?」

「いえ。」

「今回も率直な返事をありがとう。 しかしこれは事実なのだ。 ずっと昔、きみやハリー・ポッターが生まれる何年もまえに、救世主とうたわれた男がいた。 名門一族の出身で、正義と復讐を両手にたずさえ、強大な宿敵に立ちむかう、物語の登場人物のような男だった。」  クィレル先生は空を見あげたまま、小さく苦笑いした。 「その当時でさえ、わたしは自分のことを冷笑家だと思っていた。その実、どうだったかというと……」

冷気と夜気のなか、沈黙がつづいた。

「正直に言って……」と言ってクィレル先生は星を見あげる。 「いまだにわたしには不可解だ。 彼ら全員の命が、男の成功如何にかかっていた。そう分かっていながら、彼らはありとあらゆる方法で男の邪魔をし、男の人生を不愉快にした。 わたしも、権力者たちが簡単になびいてくれると思うほど、うぶではなかった。そのためにはなにがしかの見返りが必要だろうとは思っていた。 しかし当時は、彼らの権力そのものが危機に瀕していたのだ。にもかかわらず彼らは前線に出ようとはせず、すべての責任を男に負わせた。わたしにはそれがおどろきだった。 彼らは男の成果がかんばしくなければそれを笑い者にし、自分たちが本腰をいれればずっと大きな成果をあげられると吹聴した。その実、だれも自分の手をくだそうとはしなかった。」  分からないと言うようにくびをふる。 「なにより奇妙なことに——男の宿敵たる〈闇の魔術師〉と呼ばれた男のほうでは、そういったことはなかった。熱心に主人の命令にしたがう部下ばかりだった。 〈闇の魔術師〉が部下に残酷な仕打ちをすればするほど、部下はいっそう熱心に、 さきをあらそって奉仕した。かたやもう一人の男は、自分に命をあずけているはずの者たちに邪魔されてばかりだったというのに……。それがわたしには不可解だった。」  クィレル先生の顔が上をむき、影に隠れた。 「男は貧乏籤を引いて戦場に身を投じたばかりに、そうしない人たちから疎外されてしまったのだろうか? 彼らはそのせいで——自分たちが隷従の憂き目にあいかねないのも忘れて——〈闇の魔術師〉と戦うその男をいくらでも妨害する権利があるように思ってしまったのだろうか? わたしは人間は利己的に行動するものだと思っていたが、そう思うのは冷笑ではなかった。とてつもない楽観主義だった。 現実には、人間は利己的にすらなれない生きものだ。 そこまで分かればあとは簡単な話だ。そんな人間たちを率いるよりは、一人で戦うほうがまだましなくらいだ、と思えてくる。」

「それで——」  夜気のなかにひびく自分の声には違和感があった。 「あなたは安全な場所に仲間をのこして、たった一人で〈闇の魔術師〉に戦いをいどんだ、ということですか?」

「いや、まさか。 わたしは英雄になろうとすることをすっぱりやめて、もっと快適な人生をおくることにした。」

「え……? 最低じゃないですか!」

クィレル先生は空をあおぎ見るのをやめて、ハーマイオニーのほうを向いた。室内からもれる明かりでクィレル先生の顔が——すくなくとも顔の半分が見えるようになった。笑顔だった。 「ミス・グレンジャー、きみはわたしのことを、ひどい人間だと思うか。たしかにそう言ってもいいかもしれない。 しかし英雄になろうとすらしない人たちと比べればどうだ? わたしとて、彼らとおなじように最初から手をださず傍観したままでいるという選択肢はあった。そうしていていれば、きみから『最低』とまでは言われずにすんだのかな?」

それに答えようと口をひらくが、こんどもまた、言うべきことが見つからない。 英雄であることをやめて、ほかの人たちを見捨てる行為は、どう考えてもまちがっている。かといって、英雄でない人は無価値だとも思いたくはない。それはそれでクィレル的な考えかただから……。

クィレル先生の顔(の半分)から笑みが消えた。 「英雄を名のってだれかを守ろうとするのもけっこうだが、守られた人たちはいずれ恩を忘れる。きみはそんなことも分からないでいたのだろう。 だからこそきみはその男が英雄であることをやめたと聞いて『最低』だと言ったのだろう。……何千人といる傍観者のことをさしおいて。 彼らにとって、きみがいじめ退治をするのは当然のことだった。 領主は民が納めた税金を手にすることを当然の権利だと思い、期日に届いていなければ嫌味を言う。彼らもまったくおなじだ。 きみもその目で見たことだろう。一度はきみを持ちあげていた人たちも、風向きが悪くなればたちまち顔をそむけるようになる……」

クィレル先生はバルコニーに身をのりだす姿勢をすこしずつ変えて、やがてほとんどまっすぐに立ち、ハーマイオニーと対面した。

「しかしきみが英雄でありつづけるいわれはない。いつやめようが、きみの自由だ。」

そんな風に考えたことは……

……実はあった。この二日間のあいだにも、何度か。

『人間は正しくあろうとすることで、ほんとうの自分になる』とダンブルドア総長は言っていた。 やっかいなことに、いまここには二通りの正しさがあるように思える。 こころのなかのどこかで、『ホグウォーツから逃げださないことは正しい、わけがわからない状況でも踏みとどまるのが英雄だ』、と言う声がする。

しかしもう一つ、『子どもは危険に近寄るべきではない』、『そういうことをするのは大人の仕事だ』、という良識を語る声も聞こえる。『知らない人からお菓子をもらってはいけません』という標語とおなじ種類のもので、これはこれで正しい。

ハーマイオニー・グレンジャーはバルコニーに立ったまま、だんだん明るくなる星の光にふちどられるクィレル先生のすがたを見て、やはり理解できなかった。 よりによってなぜクィレル先生が心配げな顔をしてこちらを見ているのか。なぜその声を聞いて痛ましさを感じてしまうのか。クィレル先生はなぜわざわざこんな話をしているのか。

「あなたはわたしのことが嫌いですよね。」

クィレル先生は一度小さく笑った。 「わたしとしてはまず、この件に貴重な時間を使わされたおかげで〈防衛術〉の授業に支障がでてしまったことに我慢がならない。 しかしそれ以上に、きみはわたしの生徒だ。過去の職業のことはおいておくとして、わたしはこの学校ではよい教師であったつもりだ。きみもそれは認めるだろう?」  そう言ってクィレル先生は急に疲れた目をした。 「教師として、きみにはぜひ、この学校以外の進路を考えてみてもらいたい。きみをわたしとおなじ目にあわせるのはしのびないのでね。」

ハーマイオニーは息をのんだ。 予想だにしない一面を見せられて、自分のなかにあったクィレル先生のイメージが塗り替わっていくようだった。

クィレル先生はしばらくハーマイオニーをながめて、それから顔をそむけ、また星空をあおいだ。そしてもう一度、声をおさえて話しはじめた。 「ミス・グレンジャー、きみはこの学校にいるだれかに狙われている。わたしはミスター・マルフォイを守ることはできたが、おなじようにきみを守ることはかなわない。 総長が——理由があってのことだとは言うが——そうさせないのだ。 きみはホグウォーツに愛着がわいていることだとは思う。無理はない。わたしもそうだ。 しかしフランス人の〈元老貴族〉に対する態度はブリテン人のそれとは一線を画している。ボーバトンもきみに悪いようにはしないだろう。 ほかのことできみにどう思われていようとも、わたしは頼まれれば、全力をもってきみをボーバトンに安全に送りとどけると約束する。」

 

85章「交換不可能な価値——余波(その3)——距離」

 様々なことを考えた末に、ディメンターを殲滅するため死を覚悟して不死鳥フォークスにアズカバンに連れて行ってもらうことを思いつくハリー。フォークスはハリーのもとにやってくるが、ハリーは寸前で思い留まる。

 

 

Grokで作成

*1:余談だが、ここを読むと読書猿先生の次の記事を思い出す。

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