シントピコン索引の和訳の作業工程とか問題点とか

kozakashiku.hatenablog.com

  に引き続き。

 

 多くの人にとって情報価値0だと思うが、こんなものでも無いよりはマシだと思うので、シントピコン索引和訳の実際の作業工程と、本気で和訳するならこんな問題があるよね、というメモを載せておく。訳したのが約2年前のことなので、記憶の曖昧な部分もあるが、間違ったことは書いていないと思う。基本的に、もし和訳有志がいたらお役に立ちたいというモチベーションで書いているので、作業工程はかなり具体的かつ詳細に記しているし、「和訳有志はこうした方がいい」みたいな偉そうな物言いもたくさんしている。適宜読み飛ばしてほしい。

 

 

 

和訳の作業工程

 和訳作業は以下の工程で行われた。

①和訳するアイデア=大項目、トピック=小項目を選定する

②選んだトピック=小項目における参照指示を整理する

③和訳本を入手する

④Great Booksと和訳本を照らし合わせ、参照箇所を同定する

 

①和訳するアイデア=大項目、トピック=小項目を選定する

 シントピコンは個人や数人のグループで全部和訳できるような代物ではないので、全体の中から興味のあるトピック=小項目を何個か選んで和訳することになる。和訳してみたいという人がいたら、各アイデア=大項目における「トピックの見取り図」(トピック=小項目の集合体)を目下和訳中なので訳したので、それを見て興味のあるものを各自選んでほしい。

 ちなみに今回の和訳作業では、気になるアイデア=大項目を20個ほど選び、その章の「トピックの見取り図」をざっと自動翻訳にかけて、特に興味を惹かれ、かつ参照指示がそれほど多くないトピック=小項目を11個選んだ。

 

②選んだトピック=小項目における参照指示を整理する

 「シントピコン索引」は、Great Books各巻の様々な箇所を参照指示している。よって、各トピック=小項目における参照指示を著者(≒巻)ごとにまとめる作業が必要になる。つまりプラトンについての参照指示、アリストテレスについての参照指示、…、という風に「著者(≒巻)ごとの参照指示まとめ」を作っておかなければならないのである。

 そこで、エクセルのフィルター機能が役に立つ。詳しくは画像を参照してほしいが、簡単に手順を説明しよう。特に複雑なテクニックが必要なわけではないので、読み飛ばしても大丈夫だし、このやり方じゃなきゃダメなんてことはもちろんない(むしろ「もっと簡単な方法あるよ!」という方はぜひ教えてください)。

 まず選んだ全てのトピック=小項目の全ての参照指示を、エクセルの1つのシートにひたすら打ち込んでいく(トピック=小項目ごとにシートを分けたら意味がない。後でコピペして1つのシートにするのならよいけど)。「11市民」の[6市民権のための教育]というメイントピックに、

 11 Plato, 43-47, 174-176,(以下略)

 という参照指示があるので、これを例にとろう。

 まず後々混乱しないように、どのトピックを扱っているか(この場合は「11Citizen6」)を1列目に入力する。更に巻数、著者名を2,3列目に入力する(巻数と著者はおおむね対応しているが、どっちも記しておいた方が分かりやすいし、アリストテレスなど二巻にまたがっている著者や、複数の著者の作品を収録している巻にも対応できる)。最後に参照指示されたページを始点と終点に分けて、始点を4列目、終点を5列目に入力する。この際注意すべきなのは、あるトピック=小項目の中で、一人の著者に対して複数の参照指示がある場合、その参照指示の数だけ行を作成するということである(画像参照。始点のページ数を昇順で並べるため)。また1ページしか参照指示されていない場合は、始点(=4列目)にそのページを入力し、終点(=5列目)は空けておく。1つのトピック=小項目が終わったら、そのすぐ下の行から、次のトピック=小項目の参照指示を打ちこんでいく。

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全ての参照指示を1つのシートにまとめる

 さて、選んだ全てのトピック=小項目の全ての参照指示を1つのエクセルシートに打ち終わったら、そのシートを複製する。

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全ての参照指示をまとめたシートを複製する

 今、プラトンについての参照指示を一まとめにしたいとしよう。まず複製したシートに移り、著者名を入力してある3列目において、「プラトン」と入力されている行のみが選ばれるようにフィルターをかける。更にページ数の始点を入力した4列目について昇順にすれば、プラトンへの参照指示がページ数順に一挙に表示される。

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著者名でフィルターをかけ、始点のページ数を昇順にする

 このシートを著者の数だけ作っていくと、全ての著者について「著者ごとの参照指示まとめ」が出来上がる。2巻にわたる著者については、シートを2枚作り、巻数を打ちこんだ2列目でフィルターをかけて巻ごとの「参照指示まとめ」を作ればよい。参照指示が2,3個しかない著者については、その著者専用のシートを作るのではなく、「その他」シートにまとめるとよい(フィルター機能で、参照指示が少ない著者全てにチェックを入れれば、「その他」シートが出来上がる)。また、詳しくはこちらを見てほしいが、参照指示に「passim」や「esp」などの記号が付されている場合は、その参照指示の横のセル(6列目)にそれを打ちこんでおけばよい。

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著者ごとの参照指示まとめをを作り、参照指示の少ない著者は「その他」にまとめる

 

 一応、「著者ごとの参照指示まとめ」を作っておくことの利点を述べておこう。

 ある著者(≒巻)についての参照指示が全てページ数順にまとまっていれば、どの部分の和訳本を用意しなければならないのか、そしてどの部分については和訳本を用意しなくてよいのかがすぐに分かる。例えばプラトンについての参照指示をまとめた結果、p1-14への参照はなかったので、6巻(プラトンの巻)のp1-14に当たる「カルミデス」(Charmides)の和訳は用意しなくてよい、というようなことが一目で分かるのである。

 また、異なるトピック=小項目同士が同じ箇所や隣接箇所を参照指示している場合は、作業が楽になる。例えば6巻(プラトン)について、あるトピック=小項目は100~110ページを参照指示しており、また別のトピック=小項目は110~120ページを参照指示しているとすると、100-110ページと対応する和訳の箇所が分かれば、ほぼ自動的に110-120ページの対応箇所も見つかる。このことから、一度に和訳作業を行うトピック=小項目の数がある程度あった方が、作業が却って効率的になることが分かる(あるいは、和訳有志たちがデータを集積できるようなネットワークがあるとよいと思う。この箇所のすぐ前の箇所は、データによると和訳本のp20に対応しているから、ということはこの箇所に対応するのは和訳本のp21あたりだろう、という風になれば、作業は非常に効率的になる)。

 後々の作業のため、出来上がった「著者ごとの参照指示まとめ」を印刷しておくとよい。

 

③和訳本を入手する

 Great Booksに収録された作品の和訳については、後日公開する収録作品一覧を見てほしい(ただし恐らく和訳が存在しないもの、和訳本を同定できなかったものもある)こちらを参照。古典なので和訳本が複数存在する場合も多々あって、どれを選ぶべきか悩ましいところだが、その問題についてはひとまず置いておく。とにかくどの和訳本を入手すればよいかが決まれば、あとは図書館などを使って入手するだけである。複数の図書館を利用して和訳本を入手する場合は(1つの図書館で全てを賄うのは恐らく無理である)、カーリルで利用する図書館を全て登録し、片っ端から入力していって、どの和訳本がどの図書館で入手可能かをメモっていくと効率的である。ただし、そう簡単に全ての和訳本が入手できるわけではない。詳しくは次の和訳の問題点を見てほしい。また、この際入手した和訳本の書誌情報をきちんとメモっておかないと、後々面倒くさいことになる(筆者は部誌の締め切り直前に書誌情報を調べまくる羽目になった)。

 

④Great Booksと和訳本を照らし合わせ、参照箇所を同定する

 さて、いよいよ和訳作業の本番である。ここからはひたすらGreat Booksと和訳本をめくり、文章を見比べ対応箇所を探していく作業となる。「11市民」[6市民権のための教育]において、6巻(プラトンの巻)のp43-47が参照指示されているので、それを例にとろう。

 Great Books6巻において、p38-64が「Protagoras」という作品に充てられていることから、まず「Protagoras」の和訳を用意すればよいことが分かる(ここでは山本光雄他訳「プラトン全集8 エウテュデモス プロタゴラス岩波書店を使用)。

 具体的なページ数にあたりをつけるために、簡単な計算をする。Great Books6巻において「Protagoras」が載っているのはp38~p64までなので、だいたい25ページである。そして参照指示の始点であるp43は、43-38=5で、「Protagoras」の5/25=1/5あたりにあることが分かる。

 次に和訳本「プラトン全集8」において、「プロタゴラス」が載っているのはp110~p231までなので、だいたい120ページである。120×1/5=24なので、110+24で、だいたいp134あたりを探していけば対応箇所が見つかるだろう、とあたりをつけることができる(ここらへんの計算は単にあたりをつけるためだけのものなので、概数でよい。5の倍数を使うと楽)。

 そして、Great Books6巻のp43を開く。このp42-43の見開きページのうち、段落の冒頭部を見ていくと「Protagoras」、「Young man」、「When I heard this, I said」というような単語、文章が拾える。そこから、「プロタゴラス」、「若者」、「それを聞いて私は言った」というような文言が出てくる箇所が、和訳におけるだいたいの対応箇所である、ということが分かる。

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「Great Books6」Encyclopedia Britannica, Inc. p42-43 傍線、囲み線は筆者による

 さて、「プラトン全集8」のp134周辺のページをめくりながら「プロタゴラス」、「若者」、「それを聞いて私が言った」という単語や文章が登場しないか探していくと、p130-131の見開きにちょうどそれらしき箇所が見つかった。更に文章をよく見比べると、完全に対応箇所であることがはっきりする。ここでは版面の掲載許可が下りなかったので、打ち直したものを載せておく。なお傍線は、上に載せた英訳の傍線と対応するように筆者が付けた。

 

 するとプロタゴラスは、ぼくの言葉を受けて言った、

 「若者よ、そのことなら、君はこの私につけばこういうことになるのだ。つまり君は、私についたその日に、前よりもすぐれた人間になって家に帰るだろうし、次の日もやはり同じだろう。そして一日一日と、つねによいほうへ向かって進歩することだろう」

 聞いてぼくは言った、

 「プロタゴラス、それだけのことなら、あなたのおっしゃることに別に不思議はなく、むしろ当たり前のはなしでしょう。あなた御自身だって(以下略)」

山本光雄他訳「プラトン全集8 エウテュデモス プロタゴラス岩波書店、p131。傍線、()は筆者による。

 同じようにGreat Books6巻のp47(参照箇所の終点)についても対応箇所を探す。参照箇所の始点が既に見つかっているので、始点と終点がそう離れていなければ、終点を探すのは比較的楽である。かくして、「Great Books」6巻におけるp43-47に対応するのは、和訳本である「プラトン全集8」のp131-153である、ということが分かる。

 見つかった和訳本における対応箇所のページ数は、(最低限のor詳細な)書誌情報と共に、印刷した「著者ごとの参照指示まとめ」の右側の余白に書き込んでいくと混乱せずに情報を整理できる。

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印刷した「著者ごとの参照指示まとめ」への書き込み。全てのシートでアリストファネスが先頭に来ているのは単なるミス

 以上示したのは比較的単純な例であるが、参照箇所の和訳がちょうど省略されているということに気づかず迷宮に入ったような気分になったり、哲学書だと細かい章立てがあるので対象箇所がスイスイ見つかったりと、いろいろなケースがありうる。用意していた和訳本では、参照箇所にあたる部分が省略されている(特に序文が省略されているケースが多い)ので、他の和訳本を入手しなければならない、という風にして、③の和訳本入手作業に戻ることもある。

 同定作業が一通り終わったら、それらをトピック=小項目ごとに並べて、和訳できなかった著者について但し書きをつけ、後ろに書誌情報をまとめれば、一応和訳の完成ということになる。

 

和訳の問題点

 以下、和訳する際に気づいた/感じた問題点を列挙していこう。

 

和訳作業がとにかく大変問題

 まずは当たり前かつ最も本質的な話から。和訳作業は、上の作業工程を見てもらえれば分かるように、はっきり言って頭脳労働ではない。英語だって得意ならその分作業は楽になるだろうが、単語知識だけで行えなくもないし(まぁそれはさすがに厳しいかもしれないが)、思考力が必要になる場面もほとんどない。半分冗談だが、シントピコン索引の和訳に必要なのは、知力よりも体力である。にも関わらず(いや、だからこそ)、大変なのである。

 今回も、訳したのはほんの11個のトピック=小項目だし、いろいろと欠陥の多い和訳ではあるのだが、そして実は部誌製作という名目で5人ほどの部員にも手伝ってもらったのだが(「なんじゃこりゃ」と言いながらも手伝ってくれてありがとう、そして筆者の趣味に付き合わせてごめんなさい)、それでももう一度同じ作業をしろと言われたら気が遠くなる。日本でGreat Books運動を展開しているあの団体やこの団体にスポンサーについていただきたかった、というかバイト代を貰いたかったところである(笑)。

 「和訳の作業工程」で書いたように、有志たちが情報を共有できるデータベースみたいなものができれば作業は格段に楽になると思う。

 

どの和訳本を使用するか問題

 Great Booksに収録されているのは基本的に古典なので、異なる出版社から複数の和訳が出ており、岩波文庫を使うべきか、中公クラシックスを使うべきか、光文社古典新訳文庫を使うべきか、という風に、どのバージョンを利用するべきかについて、いちいち悩まなければならない(ちなみに今回の和訳では岩波文庫を用いていることが多いが、特に意図したものではない。というより、そういうことを考え始めると面倒くさくなると思って何も考えなかった)。それ以前に、利用する図書館によって入手できるバージョンが限られている、という身も蓋もない話もある(→「和訳本の入手が難しい問題」)。今回の和訳で言うと、普通の岩波文庫が手に入らず、ワイド版岩波文庫を使って和訳作業を行ったものがある。

 また、同じ和訳でも改版によって(まえがきが挿入されるなどして)ページ数がずれてしまうことがある。更に改訂、改訳の場合は訳が完全に変わっている。全訳と思いきや序文やら何やらを省略していたり、抄訳・一部訳は一般に流通していても、全訳となると大学図書館にしかなかったり、というようなパターンもある(アクィナス「神学大全」とか)。

 ただ、1つのバージョンで和訳できれば、それを基に他のバージョンでの対象箇所を探すのは、案外楽かもしれない(やったことないのでどれぐらい楽か/大変かは未知数)。しかし、有志たちが各自入手できる和訳本で和訳作業を行い、それを基にしてまた別の有志が他の和訳本における対象箇所を同定するとなると、伝言ゲーム式にノイズが増幅されていってしまうのだろう。悩ましいところである。

 更に、今回の和訳作業は細かいことを考えずに行ったが、Great Booksが使用している底本と、和訳本が使用している底本が違う(可能性がある)こととかを考え始めると、この問題はますます深刻になってくる。

 

和訳本の入手が難しい問題

 今回の和訳作業では、2つの地方公共団体公共図書館(どちらも蔵書規模はかなり大きくて、特に片方は公共図書館としては全国有数の規模)、そして1つの大学図書館(いろいろな幸運が重なって、たまたま使えることになった)を利用して作業にあたった。この3つの図書館をフル活用して和訳本をかき集めたが、それでもなお入手できなかった和訳本、和訳できなかった箇所もたくさんある(貸出中などのつまらない理由で集められなかった本もあるが。ちなみに、作業に際限がなくなるため、他の地方公共団体・大学からの相互貸し出しなどは利用しなかった)。

 ということで、単純に和訳本の入手が難しい、あるいは面倒くさいという問題がある。また、前述のように抄訳、一部訳が一般に流通しているが、全訳は入手が難しいということも多々ある。ただし、今回について言えば大学図書館でメインの作業を行えなかったという事情もある。もし大学図書館での作業がメインであったら、和訳本入手はかなりスムーズに進んだかもしれない。

 和訳本の入手のしにくさは、シントピコン索引の利用を困難にする要因でもある。例えばプランク「科学的自叙伝」の和訳は、1948年に出版されたとある医学系雑誌に載ったものしか確認できなかった。もし幸いにもそれを入手し無事和訳できたとしても、その本が公共図書館で入手できなければほとんど意味がない(あまりに古すぎて国会図書館のデジタルコレクションに登録されている、みたいなことがあれば話は別だが)。

 電子書籍を利用すれば和訳本入手問題は(金の力で?)解決するだろうという方もいるかもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。まずアカデミズムの内側で流通している古い本(Great Booksの和訳本のうちのいくつかはこういうものだ)は、ボーンデジタル(作成された時点でデジタルデータとなっている情報)ではないし、デジタル化する手間をかけてもどうせ売れないので、電子書籍になっていないことが多いはずだ(ちゃんと調べてないが)。

 更に、電子書籍を利用して同定作業を行うことも非常に難しいと思う。実際にページを繰ったり、パラパラめくっていったりしないと、英語が日本語のどこに対応しているのかを見つけだす作業が恐ろしく非効率になるはずだ。ページ数はココ、と決め打ちできる場合には電子書籍も役に立つだろうが、同定作業においてはそのような決め打ちができないので(こういう作業ではランダムアクセス性の有無が死活問題になる)、綴じた本が必要になる。「和訳の作業工程」で計算によってページ数のあたりをつける方法を紹介したが、それもせいぜいあたりをつけられるだけである。

 

どの部分を「対象箇所」とするか問題

 今回は、基本的に「Great Booksにおいて参照指示されたページの最初の段落と最後の段落に合致する和訳部分を見つけ、そのページ数を対照箇所とする」という方針で作業を行った。が、実際この基準に厳密に則ったわけではなくて、例えば「このページからこのページってことは、明らかに第1章を参照指示してるってことだよな」というような場合には、和訳本の第1章のページをそのまま対象箇所とするとか、上のプラトンの例のように、参照指示されたページの1ページ前の部分との対応箇所を見つけて、それを和訳における対象箇所の始点にしてしまうとか、適当な裁量で決めた部分もいっぱいある。作業にかかる手間から言えば、適当な裁量で対照箇所を決めて、「一応周辺部分も読むように」と注意書きをするのが現実的だと思う。

 

「導入エッセイ」(Introduction)をどうするか問題

 シントピコンには、各アイデア=大項目の説明として「導入エッセイ」(Introduction)が付されていて、本来はそれを読むことで各トピック=小項目の意味合い、相互連関が分かるようになっている。だから、「導入エッセイ」を訳さずに、「シントピコン索引」部分だけ和訳しても、その機能は十分であると言えないのかもしれない(誰か訳して!)。

 

Great Books全訳が不可能問題

 以上の問題をいっきに解決する方法として、Great Booksを全訳して流通にのせるというやり方が考えられる(そもそもGreat Books自体が、入手しにくい古典にアクセスしやすくするために作られたものだ)。が、それは恐らく不可能である。

 まず、日本語とアルファベットでは、読み取り可能な文字の密度・大きさが大きく異なる。アルファベットであればぎゅうぎゅうに詰め込んでもかなり読みやすいのだろうが、日本語で同じ内容を、実際に手に取って読むのが可能な範囲の範型・厚さで載せようとしたら、文字がとんでもない小ささになって、信じられないほど読みにくくなること請け合いである。適度な範型、厚さ、文字の大きさと密度で同じ内容を出版しようと思ったら、確実に100巻では収まらない。

 もっと身も蓋もないことを言うと、図書館購入だけでペイする事業とは素人目にも思えないから(まさかこの時代に、図書館以外の購入者を当てにするわけにはいかないだろう)、こんなことに手を出す出版社は存在しないはずだ。実際本家Great Booksもセールスには苦労したらしい。

 これは素人の妄想と思って聞いてほしいが、電子図書館のような仕組みを使って、シントピコン索引がハイパーリンク方式で実装されたら便利だなぁ、と思っている。そうするとブラウジング性が損なわれるのだけど。

 

図書館に利用できる席がない問題

 最後にうんと卑近な話、というか余談(いや、愚痴?)になる。

 和訳作業は実質的に図書館でしか行えない作業である(Great Books全60巻と大量の本が必要になるなので)。しかし、公共図書館はどこもそうだと思うのだが、学習席は学生に占拠され、閲覧席は高齢者に占拠され、まともに使える作業場(机)が図書館にないのである。閲覧席で新聞の縮刷版を見ながら情報をノートに書き写しているおじさんたちをよく見かけるので、持ち込み資料でなければ作業してもいいだろうと閲覧席で作業を行ったら、「この席で資料を使って作業するのは止めてください」と図書館員に注意されてしまった。図書館は社会的包摂機能を果たすべきだというようないろいろな理念、メインの利用者層が学生であるという事情、中高年に注意すると厄介なことになる(図書館員だけでなく利用者までもが迷惑する)という問題は承知しているつもりだが、図書館でしかできない作業をやっている人間が席を利用できないという状況はいかがなものだろうか。さすがに、閲覧席でウトウトどころか爆睡を決め込んでいる人や、学習席で息抜きにスマホゲームやっている人よりは優遇されたい…、というかされたかった。

 図書館ごとに事情は違うだろうし、筆者の利用する図書館でも最近だと学習席が予約制になるなどの動きがあるようなので、一概には言えないが、とにかく筆者が和訳作業をしているときは、こういう状況だった(大学図書館だとまた事情は違うのだろうが、今回は大学図書館での作業は行えなかった)。今だと、コロナウィルス感染拡大防止のため利用時間の制限がかかっていたりするので、尚更大変だろう(もっとも、ユルユルの時間制限だったりするのだけれど)。

 

その他

和訳は面倒くさいのでこっちで勝手にシントピコン索引に類するものを作っちゃえばいいんじゃないか問題

 作りたい人は作ってください(皮肉でなく。例えばこんなものが見つかった。

シントピコン索引 | BookIndex)。でも、多くの古典・名著を母国語で読めるという恵まれた国にあって、シントピコンを翻訳せずにおくのはもったいないのではないだろうか。同じレベルのものを新たに作り直す方がよほど面倒くさいし、だいたい作り直せる能力を持った人がいないだろう。ここはおとなしく西洋世界の知的成果にただ乗り(?)させていただくのがよいと思う。

 ただ、Great Books of the Worldや、Great Books of the Eastern Worldを作るとか(これはもう日本というスケール超えちゃってるけど)、「日本の名著」中央公論社でシントピコン索引作るとかといった試みは是非とも行われるべきだと思う。

 また、この記事を書いている最中にこんなのが出ていたのでご紹介。筆者にとってはタイムリーすぎる記事でビビりました。

あとがき33 索引になった男:『群書索引・広文庫概要』(昭和51年4月6日) - あとがき愛読党ブログ

 ド素人なので勘違いも含まれているかもしれないが、廣文庫や古事類苑などの索引は言わば「抜き書き集」であり(だから扱われる国書そのものの、本としての完結性は考慮されていない)、国書の内容についてトピックごとに網羅的に検索をかけられるもので、西洋の伝統の骨子を担う選りすぐりの古典・名著たちのトピック索引たるシントピコン索引とは少々性格が異なるように思う(優劣の問題ではなく)。

 ただ、「西洋の伝統の骨子を担う選りすぐりの古典・名著」とは言っても、シントピコンの「序文」(Introduction)などで編者たちが認めているように、Great Booksに誰もが認めるような西洋世界の名著の全てが収められているというわけでもないので、本国の方でGreat Books、あるいはシントピコン索引を増補改訂したりする動きがあってもおかしくないと思うが、そういう動きはないのだろうか。

シントピコン索引は面倒くさいけどそれ以外に和訳すべきものがあるんじゃないか問題

 先にも書いたように、各アイデア=大項目には「導入エッセイ」(Introduction)が付されているので、それを是非とも誰か訳してほしい。「導入エッセイ」と「トピックの見取り図」(Outline of Topics)が日本語で読めるというだけで、かなり役に立つと思うのだけれど(「トピックの見取り図」については目下和訳を進めている。筆者は英語できないので惨憺たるクオリティだが)。

 またシントピコンの編者、モーティマー・J・アドラーが編んだ、「プロペディア」というブリタニカ国際大百科事典の付録があるとの情報を、例によって読書猿氏の紹介によって知った。

「一冊で教養が身につく本を教えて」というリクエストに真面目に答えてみる 読書猿Classic: between / beyond readers

 というわけで「ブリタニカ・スタディガイド ブリタニカ国際大百科事典 分野別の手引き」を入手してみたが、バージョンをよく確認しなかったせいで、91年発行の、ブリタニカ日本語版の改訂第2版(本家だと第15版)に対応したものが届いた。そのせいか分からないが、「知識の概要」The Outline of Knowledge in Propædia(ないし、それに類するような知識の構造を示した表。シントピコンの「トピックの見取り図」Outline of Topicsとはまた別物)が見当たらないし、執筆者も日本人である。一応「物質・宇宙」、「地球」、「産業・技術」と言った見出しの下に個別の話題についてのエッセイがあるという構造にはなっているが、全然体系的な感じがしない。強いて言えば巻末の「大項目辞典分野別項目一覧」(ブリタニカの大項目事典の各項目を知識体系によって配列したもの)は体系的だけど

Propædia - Wikipedia

 にあるプロペディアの表とは対応していない。

 というわけで、要するに素人には事情がよく呑み込めていないので、詳しい方いたらどういうことなのか教えてください。

 シントピコンの序文で触れられている「Great Conversation」についてはまた別の記事で。

*1

*1:以前は本文に置いてたが、読み返したら恥ずかしくなったので註に押し込むことにする。

シントピコンを訳して何になるのか問題 

 この問題は、要するに「人文学は何の役に立つのか問題」、「文学読んで何かいいことあるのか問題」に繋がるので、今すぐ明解に答えられるわけではない。

 ただ、シントピコンは、人文学はどう役に立つのかを示すことや、人文学に対する人々の敵意をやわらげることに役立つ、とは言えそうである。どういうことか。

 これは半分言いがかりになるが、人文学、人文知が人々に敵視される理由の一端はその秘教性にある。人文知、教養なるものの価値を奉る内輪集団の中で機能していたものは、傍から見れば(ひょっとすると内側から見ても)嫌らしいスノッブや教養圧力でしかない。

 そういうサークルの中ですくすく育った教養エリートに「古典には裸一貫で立ち向かえ」なんて言われても、「はいはい。いつか暇になったら読みますね」とか、「学者先生はお気楽でいいですな」とかという反応が返ってきておしまいである。教養圧力なんて、そういうサークルの外ではこれっぽちも通用しないどころか、多くの場合敵意の対象なのだ。

 更に困ったことに、教養圧力を多少なりともまともに食らった少数の人たちが最終的に行き着くのは、古典のあらすじがズラズラ載っているカタログの類である(あぁ、私こういうカタログ大好き…)。

 さて、ここで人文知や教養のカタログ化を「知の大衆化」としておこう(もちろんポジティブな意味ではない)。それはマスへの拡散に伴いレベルを著しく落とす形で、人文知が脱秘教化するルートである。

 いま一つ、人文知の脱秘教化をもっと穏やかな形で行うルートがある。これを「知の世俗化」と名づけてみよう。人文知の秘教性を解除しながら、同時にレベルも落とさないやり方だ。Great Books及びシントピコンは、知の世俗化の具体例とは言えないだろうか。聖典(=古典)を一般読者の下まで引きずり下ろし、聖職者(=専門家)の独占してきた解釈権を読者の手に委ねる(そして、読者が迷わないように手すりまでつけてくれる)という意味で、それは人々の人文知への敵意を少しはやわらげるだろう(ここでは分かりやすくまとめてしまったが、本当はもう少し複雑なことを言いたかった。筆者は、「裸一貫で古典に向かえ」式の、あるいは「この作品について語るなら最低限これとこれとこれは読め」式の秘教主義と、カタログで事足れりとする「知の大衆化」は共に、「知の世俗化」と決定的に対立しており、コンテクストを無視して知がスタンドアローンに存在するかのように見なす姿勢や、逆に過剰にコンテクストを押しつける姿勢こそが、知への新規参入者を減らし、知的共同体をろくでもないものにしてきた、と考えている(コンテクストの過剰な押しつけは、多くの人に拒否反応を示されるので、結局コンテクストの無視に繋がる)。知の世俗化においては、ほどほどのコンテクストの共有が目指される。だから、面倒くさいコンテクストの押しつけをスキップして、一般読者にもコンテクストを掴める手立てを提供するものとして、シントピコンは知の世俗化の例と位置づけられる。アカデミズムのコンテクストを一般読者に分かりやすく伝えていくこともまた知の世俗化だと言える)。実際に古典を読むことを通じて、自分の考えたようなことは何百年も前に誰かに考えられているということが分かれば、過去の知見を参照しないことの愚と、過去の知見を体系的に整理する人文知の有用性への理解が少しは生まれるかもしれない。

 人文学への風当たりが強い昨今、人文学プロパーの方々は、「すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなる」とか、「役に立つという言葉の定義について考えるのが人文学だ」とか、正しいだけで事態を一向に好転させない繰り言を言ってないで、知を世俗化していく方策を採用すべきなのではないだろうか。そういう意味で、シントピコン索引の和訳は、人文学への追い風になる、かもしれない。

 なーんて、人文系の学部にいるわけでもないし、古典なんかほとんど読んだことないし(ほんとごめんなさい)、「古典楽に読めたらなぁ」みたいなモチベーションでシントピコンを訳した筆者が言ったところで、説得力も切実さもないのだけれど。それに本音を言えば、筆者含め多くの人は、シントピコン索引を使って古典をつまみ食いしたりなんかせず、相変わらずカタログに逃げるだろう。そして更に圧倒的大多数の人々はそもそもシントピコンに興味を持たないだろう(なんだか悲しい話で終わってしまった)。