The Great Conversation について

 シントピコンの序文で、「The Great Conversation」という本が触れられているので、少し解説。

  

「The Great Conversation」は、Great Conversation - Wikipediaを見る限り、第1版ではGreat Booksの1巻目を構成していたが(こっちはハッチンス著)、第2版からは副読本みたいな扱いになったらしい(こっちはアドラー著)。ちなみにハッチンス著の「The Great Conversation」第1版は田中久子訳「偉大なる会話」岩波書店、1956が出ているが*1、当然入手しにくい。

 

 その後Great Booksがアップデートされることはなかったが、「The Great Conversation」だけは版を重ねているようで、現在第8版まで来ている。第8版についてはこちらを参照。

The Great Conversation - Norman Melchert; David R. Morrow - Oxford University Press

 すぐ後に取り上げるアドラー著「The Great Conversation」第2版と比べると、もうGreat Booksからは完全に独立してしまっているようだ。

 第8版の目次を見る限り、見出しで取り上げられている人物は高校倫理の教科書とほとんど同じラインナップだが(なんなら非西洋については高校倫理の方がまだしも網羅的かもしれない)、何と言っても本書の売りは、Great Conversationのタイトル通り、西洋における思想家たちの参照・応答の流れを通じて哲学史を語る点にある(と書いてある)。

 筆者もせっかくなので第7版を入手してパラパラ読んでみたが(ちなみにこっちにもGreat Booksへの言及は見当たらない)、英語はかなり平易なので、高校倫理の教員の方にはぜひとも授業のネタ本としてオススメしたい。とは言ってもかなり分厚いので、やっぱり誰か訳してください! 最近ワンサカ出ている、哲学用語や哲学者を軽重つけずフラットに並べたような、入門書・解説本としての機能すら果たしていない、出来の悪いカタログにみんないい加減飽き飽きしていると思うので、これは結構売れたりしちゃうのでは?(というのは甘すぎるか…)

 

 さて、筆者の利用している図書館にGreat Books第2版に付されたアドラー著の「The Great Conversation」が所蔵されていたので、今回はこちらをご紹介。まず目次をざっと見ていこう。「→」以下は筆者による簡単な説明。

目次Contents

・「Great Books of the Western World」の目次(Contents of Great Books of the Western World)

→Great Booksの目次。1巻には誰のどんな作品が収録されていて…、というのが一覧になっている。だいたいこれと同じもの。

・偉大な著者たちの年表(A Chronology of Great Authors)

→Great Booksに収録されている作品の著者たちの生没年グラフ。

・偉大なる会話再訪 モーティマー・J・アドラー(The Great Conversation Revisited Mortimer J. Adler)

アドラーによるGreat Books、およびGreat Conversationの説明。

・20世紀の作品による寄与 クリフトン・ファディマン(The Contributions of the 20th Century Clifton Fadiman)

→Great Books第2版で新たに追加された20世紀の作品が、Great Booksにどのように寄与しているかの説明。

・「偉大なる会話」抄訳 ロバート・M・ハッチンス(The Great Conversation (excerpts) Robert M. Hutchins)

→「Great Conversation」第1版に収録されていたハッチンスのエッセイの抄録。

・読者への提案(Suggestions to Readers of the Great Books)

→Great Books、およびGreat Conversationにおける各索引などの取説と、読み方の提案。

・著者-著者索引(Author-to-Author Index)

→Great Books収録作品の各著者が触れている他の著者を一覧で示す。例えばプラトン(Plato)の項には「Aeschylus Hippocrates Sophocles Euripides Homer Thucydides」と記されている。なおページ数の指示(このページで言及してるという参照指示)はない。

・著者-アイデア索引(Author-to-Idea Index)

→Great Books収録作品の各著者が、シントピコンにおけるどのアイデア=大項目で参照されているかを一覧で示す。ホメロス(Homer)なら51個のアイデア=大項目で参照されていて、上から「天使」(Angel)、「動物」(Animal)、…という風に、ホメロスが参照指示されているアイデア=大項目が並べられている。こちらもページ数の指示はない。

・Great Booksの10年間読書計画(Ten years of Reading in the Great Books)

→10年間の読書計画の例。

・偉大なるアイデア(The Great Ideas)

→シントピコンのアイデア=大項目の一覧。

 

 で、この本で恐らく一番重要なアドラーの「偉大なる会話再訪」と、「読者への提案」を訳してみた。意味が取れればいいでしょという感じの適当な訳なので、その点はご了承願いたい。なお、版元のブリタニカ・ジャパン様には、出典を明記すれば載せていいとの許可を頂いている(ありがとうございます)。

 

 

偉大なる会話再訪 モーティマー・J・アドラー

「The Great Conversation」Second Edition, Encyclopædia Britannica, Inc. p24-39

 

 傍線は原文のもの。()内は、特に注意が必要なものは(:筆者)と記しているが、単なる補足情報(たとえば「私(アドラー)は」みたいな)の場合は、何も記してない。なお要約をつけてみた。

1Great Booksと偉大なアイデア

要約

・百科事典では扱ってない「理解」と「知恵」の部分をカバーしているのがGreat Books。

・Great Books収録作品の選定基準は1現代的な重要性、2繰り返し読む価値の有無、3アイデア=大項目との関連性。影響力の大きさや内容の正しさは選定の基準ではない。

・シントピコンはGreat Booksの各作品について解釈も解説もしてないので、純粋に読者が自分の頭で考えることのサポートになる。

  身体に必要なものは、食べ物や飲み物、睡眠、衣類、住居だ。なぜなら、それらは生命を維持するために不可欠だからである。それらが十分にないと、生命に関わる。またそれらの所有は、喜びと楽しみの源でもある。

 精神に必要なものは、情報、知識、理解、そして知恵だ。私たちは生きるためだけでなく、よく生きるためにこれらを求めている。それらの所有によって、私たちは動物より一歩上の存在になれる。それらが、人間としての私たちの存在を高め、楽しみと喜びを提供するからだ。

 これら精神に必要な4つのものを手に入れるのに役立つ2冊の本がある。1つは、情報知識の包括的な貯蔵庫である、ブリタニカ百科事典などの優れた一般百科事典だ。これは、全学習分野の情報を調べることができるレファレンスツールである。そこには、主要な学習分野の体系的な知識を得るために、読み、研究すべき長い記事が含まれている。

 しかし、一般百科事典は包括的ではあるが、十分ではない。人間の精神を豊かにするための必需品へのアクセスを提供されているわけではない。では、何が省略されているのだろうか。偉大なアイデア理解と、それを通じた知恵の追求である(そしてそれは一般的に人間精神の最高の善であると認められている)。

 Great Books of the Western Worldと、アイデアの索引である「シントピコン」は、情報と知識を超えて理解と知恵に至るまで、精神を豊かにするために役立つ本である。素晴らしいアイデアは知識の対象ではないため、一般百科事典にそれらの概要は記されていない。精神は人間の関心のうち基本的なテーマについて思考するとき、偉大なアイデアの理解に取り組んでおり、またその理解が広がり、深まるにつれて、生活において良い活動を行うのに必要な知恵への扉が開き始める。

 一般百科事典のように、この本のセットはレファレンスツールであり、喜びや利益のために読むべき本のセットでもある。シントピコンは、Great Booksで論じられている偉大なアイデアの索引として、時代を通じて人間に関係する最も重要なテーマについての、古今の最も賢い人々による思考を読むことを可能にしている。それを見つけるために、ホメロスから現在に至るまでの偉大な著者全ての著作を読む必要はない。 シントピコンを使えば、シントピコンが扱っている102の優れたアイデアのいずれかについて、著者たちが何を言っているかを読むことができる。

 この本のセットの主な用途は、このセットの60巻に含まれている1人かそれ以上の著者の作品を読むみ、そこから喜びや利益を得ることだ。著者とその作品は、紀元前8世紀から20世紀半ばまでほぼ時系列に並べられているが、読者は自分の好みや興味に応じてそれらの中から読みたいものを選べばよい。

 このセットを上記の方法で利用するためのガイダンスは、本書(「Great Conversation」第2版)p74の「読者への提案」に記載されているが、ここでは次の点に注意する必要がある。

 8ページには、各著者の作品のタイトルを含む、Great Books of the Western Worldの完全な目次がある。

 99ページには、シントピコンで扱われる102のアイデア=大項目がアルファベット順に並べられている。

 83ページには、偉大な著者たちについて、各著者の、アイデア=大項目への寄与をリストにしている。

 Great Booksの第3巻から第54巻(ホメロスから19世紀末のフロイトまで)には、4つの種類の作品が含まれている——想像力豊かな文学作品、散文や詩の物語、偉大な叙事詩、小説、戯曲。哲学や神学の作品。数学や自然科学の作品。歴史、伝記、社会科学の作品。

 第55巻から第60巻には、20世紀に書かれた作品が含まれている。これらは4つのグループに分類できる。(1)第55巻には、哲学と宗教に関する作品が含まれる。(2)第56巻には、数学、物理科学、生命科学の作品が含まれる。(3)第57巻と第58巻には、歴史と社会科学(経済学、社会学、人類学)の作品が含まれている。(4)第59巻と第60巻には、想像力豊かな文学作品が含まれている。

 作品の選択は、3つの基準に則って行われた。1番目は、作品の現代的な重要性である。選ばれた作品は様々な時代に書かれているが、歴史的に重要な記念碑として選ばれたのではなく、現代においても大きな関心事である、人間の生活におけるある側面や問題を扱っているからこそ選ばれたものだ。したがって、それらは本質的に時代を超越した普遍的なものであり、時代や地域に限定されるものではない。

 2番目の基準はそれらの繰り返し読む価値の有無(rereadability)である。西洋で毎年出版されている45万~50万冊の本のほとんどは、たとえ価値があるとしても、何度も注意深く読む価値はない。いずれの年にも、一般向けの本の中で、一度でも注意深く読む価値のあるものは数百を超えることはないだろう。そしてそれらの中で、2回注意深く読む価値のあるものはほとんどない。

 Great Booksを他の本と区別するのは、それらが何度も注意深く読んだり、何度も研究したりする価値のある、一般読者向けの本である、ということではない。それらのすべてが生涯にわたって際限なく、無尽蔵に再読可能であるわけではない。たとえば、ホメロス叙事詩ギリシャ悲劇、プラトンの対話篇、アリストテレスの論文、ウェルギリウスのアエネイス、プルタークの対比列伝、アウグスティヌスの告白、ダンテの神曲シェイクスピアの戯曲とモリエールの喜劇、モンテーニュのエセー、セルバンテスドンキホーテ、スウィフトのガリバー旅行記ジョージ・エリオットのミドルマーチ、ジェーン・オースティンのエマ、マーク・トウェインハックルベリー・フィン、ディケンズのリトル・ドリット、トルストイ戦争と平和など。ここで言及されていない他の作品は、喜びと利益のために何度でも再読可能であり、または綿密な調査と研究のために何度も何度も立ち返る価値があると言えるほどの高水準にほとんど達していると言える。

 このセットに含まれる130人の著者による作品の数—517—は多いように見えるが、これらの作品は全て2500年の間に生み出されたものだということを思えば、非常に少数であるということが分かる。

 3番目の基準は、作品と偉大なアイデアとの広範な関連性である。読者は、いくつかの例外を除いて、選ばれた各著者が多数の偉大なアイデアに言及していることに気付くだろう。これが、偉大なアイデアについて何も言及していない、あるいは1つだけ、多くても2つしか言及していない著者との違いである。

 読者は、83ページの「著者-アイデア索引」を参照することでこのことを確認できる。そこでは、各著者が参照されている全てのアイデア=大項目がリストされている。同じ点は、シントピコンの102の章それぞれの末尾に付された「追加文献リスト」によっても確認できる。ここには、古代、中世、現代、現代の全ての時代の作品のタイトルがリストされている。しかし、1つのアイデア=大項目の追加文献としてリストされている作品が、他の1つまたは2つ以上のアイデア=第億目の追加文献としてリストされることはめったにない。それらは扱うアイデアが限定されており、特定の狭い分野において専門的な重要性を持つ作品だが、対照的に、Great Booksに収録されている作品は、非常に広範かつ一般的な重要性を持っており、多くの偉大なアイデア=大項目だけでなく、各アイデア=大項目の下の多くのトピック小項目にも関連している。

 Great Booksの収録作品の選定の際に考慮されなかった、2つの事項がある。

 1つ目は、文学や社会の展開に対する著者、作品の影響である。例え大きな影響力を持っていたとしても、それだけではGreat Booksに収録するには十分ではなかった。学者は、ある特定の本が及ぼした大きな影響を指摘するかもしれないが、その本が上記の3つの選択基準を満たさない場合、それは選ばれない。3つの基準で選ばれた本は、歴史に大きな影響を与えたかもしれないが、影響を与えたがゆえに選ばれたというわけではない。

 2つ目は、著者の意見や見解の真実性、あるいは特定の作品に見られる真実性だった。多くの人が、Great Booksは真実の貯蔵庫であるからこそ読書や研究に推奨されていると誤解している。Great Booksが扱っている全ての基本的なテーマと考えについては、いくつかの真実もそこにあるが、更に多くの誤りや虚偽があるはずだ。著者たちの主張が互いに矛盾しているだけではない。しばしば一人の著者の作品の中にすら矛盾がある。人間の仕事に、論理的欠陥が一つもない完璧なものはない。

 どのテーマにおいても、真実は少なく誤りは多い。真実は常に珍しく、それによって正される誤りは無数にある。この事実を、Great Booksを読むことに茶々を入れるものと考えるべきではない。それどころか、この事実は否定しがたい重要性を持っている。正されるべき全ての誤りが理解され、全ての矛盾が解決されるまで、真実はよく理解できないのだ。真実が輝きを放ち、世界を照らすのは、正されるべき無数の誤りと解決されるべき矛盾を背景にしたときなのだ。

 シントピコンは、この事実を念頭に置いて構築されている。その名の語源が示すように、シントピコン(Syntopicon)は「トピックの集合」であり、102のアイデア=大項目の下にほぼ3,000個のトピック=小項目が存在する。各トピック=小項目の下には、そのトピック

小項目についての思考に寄与するGreat Booksの文章への参照が記されている。この性質からして、トピック=小項目は異なる精神が出会い、一つの問題に取り組む場所である。著者たちは互いに異なる意見や見解を持ち、また個別に問題に取り組んでいるので、特定のトピック=小項目について参照指示されている全ての著者が真実を語っているわけではない。一部の著者は真実を語っているかもしれないが、他の著者は誤った、あるいは虚偽の意見や見解を進めているはずだ。

 シントピコンは、様々な見解や意見を提示している。その中に真実が含まれている可能性もあるが、誤りの方がはるかに多いので、読者は自分で考え、検討している全てのトピック=小項目について自分の考えを持つことができる。

 シントピコンの102の章のそれぞれには、何世紀にもわたるそのアイデアについての思考の範囲と多様性を説明する「導入エッセイ」(Introduction)がある。しかし、導入エッセイは、真実がどこにあるかを示すものではない。いくつかの真実とそれを取り巻く誤りは各導入エッセイでも見つかるが、導入エッセイ自体が真実の在り処を指し示しているわけではない。

 導入エッセイはある種中立的な内容であり、対立する意見を公平に扱っている、または全ての見解を、中立的な(どの見解にも与しない)観点から説明している。したがって、シントピコンは、読者が自分で考え、検討しているテーマについて自分で考えを固めることを要求し、それを支援するように機能する。

 1950年に完成したシントピコンについて、ロバートハッチンスは次のように述べている。

 

 索引として始まり、読者が本の道を見つけるのを助ける手段となったシントピコンは、レファレンスツール、調査ツール、研究ツールとして貢献することに加えて、「偉大なる会話」の中心となる問題の予備的な要約として、また現時点での議論の流れを示すものとして完成した。繰り返しになるが、シントピコンは主張をせず、見解も提示しない。作品の解釈もしない。ある問題について、どの作者が正しいのか、間違っているのかも示さない。それが読者に提供するのはただ、西洋の知の営みの歴史の通して重要なトピックを、どのように研究しうるかということについての提案だけである。それは読者に、偉大な著者が偉大な問題について何を言ってきたか、そして今日これらの問題について何が言われているのかを見つける方法を示している…

 シントピコンは、これら全てに加えて…西洋の思想への初めの一歩でもある。それは私たちがどこにいるのかを示している:意見の合意と相違がどこにあるか;問題がどこにあるのか;その思考がどのトピックにおいて行われるべきなのか。したがってシントピコンは、誤解によって時間を無駄にするのを防いだり、問題を指摘するのに役立つ。今世紀の知的活動の歴史が書かれるならば、シントピコンはその中のランドマークの1つと目されるはずだ。

 

2偉大なる会話

要約

・「偉大なる会話」(Great Conversation)は、西洋世界における偉大な作品たちの議論が連続性を持っているという考えで、これこそがGreat Booksの核心である。

・「偉大なる会話」が存在するという根拠は、以下の3つの索引によって示されている。

 1「シントピコン索引」:古今の作品が、各トピック=小項目について言及していることが分かる。

  2「著者-著者索引」:著者たちが先達の議論を意識し、積極的に応答していたことが分かる。

 3「著者-アイデア索引」:ほとんどの著者が、多くのアイデア=大項目に言及しているこが分かる。

・人文社会系に属する作品では、説明的な記述が主に(シントピコン索引で)参照される。文学に属する作品では、登場人物の見解が主に参照される。自然科学系に属する作品は、自然科学系のトピック=小項目において主に参照される。

・20世紀以降に生まれた作品とそれ以前の作品の間には明白な断絶がある。そのため20世紀の作品を追加した第2版では、「導入エッセイ」が改訂され、「トピックの見取り図」(トピック=小項目の構造体)が再編された。

  偉大なる会話は、Great Books of the Western Worldの核心である。Great Booksの最も重要な機能は、読者を偉大なる対話に参加させること、読者が議論のやり取りに参加できるようにすることである。

 偉大なる会話とは何か? その会話に参加する人々が議論するテーマやトピックは何か? 会話のテーマは、偉大なアイデアである。偉大なる会話は、102の偉大なアイデア=大項目と、その下にある全てのトピック=小項目について展開されている。

 Great Books of the Western Worldの第1版は、1952年に出版された。これは、シントピコンの作成と、著者、作品の選定に関する、何年にもわたる編集作業の成果である。当時、編集中を務めていたのはシカゴ大学の学長だったロバート・M・ハッチンスで、副編集長は同大学の教授である私(アドラー)だった。

 Great Booksの第1巻には、ハッチンスが書いた「The Great Conversation」という題名のエッセイが含まれていた。そのエッセイの一部は本書(「The Great Conversation」第2版)の46-73ページに載っている。

 既に述べたように、何世紀にもわたる偉大なる会話、という考えは、Great Booksの構成と利用の双方を決定する原理だった。それは、他のどんな全集とも一線を画す統一性と継続性をGreat Booksに与えたし、今もGreat Booksの中心的な焦点であり続けている。そのため、このGreat Books of the Western World第2版を発表する際に、私は編集の序文に「The Great Conversation Revisited」という題名をつけた。

 知的共同体の中で著者たちを結びつけるのは、彼らが参加している偉大なる会話である。著者たちは、その作品の中で、あるアイデアやトピックに関する先達の見解に耳を傾けている。そしてまた、先達の思考に耳を傾けるだけでなく、様々なやり方でそれに反応している。

 この一冊の本が、西洋思想の始まりから現代に至るまで多くの「声」が参加する偉大なる会話を示していると言い切るのは、うぬぼれではない。それは歴史的事実を述べているに過ぎない。そう言える十分な根拠が3つある。

 (1)1つは、シントピコンの存在である。シントピコンを使えば、各トピック=小項目ごとに、そのトピック=小項目について言及している、多くの著者の文章が見つかる。Great Booksの著者たちが、同じ時に同じ部屋の中にいて、1つのテーブルを囲み、——時代、地域の状況や言語の多様性は無視して——あるテーマについて賛成意見、反対意見、あるいはその他の意見を互いにぶつけあっている様子を想像するといいだろう。このような会議の場で、どの時代のどの地域においても、人間の思考の目的や関心事となるアイデアや問題の全てを扱うには、何日も、何ヶ月も、いやおそらく何年もかかるだろう。

 (2)根拠の2つ目は、著者-著者索引である。これは本書(「The Great Conversation」第2版) のp76に記載されている。

 Great Booksの著者は、古代ギリシャパレスチナから現在に至るまで、大まかに時系列で並べられている。リストには聖書が含まれているが、聖書自体はGreat Booksに含まれていない。聖書は既に広く行き渡っているので、Great Booksによって家の聖書をもう1つ増やしても仕方ないと考えたからだ。聖書への言及は、各トピック=小項目の下にあり、参照先は欽定訳聖書になっている。

 著者-著者索引には、各著者が時系列で並べられおり、その著者が参照している先達の名前が記されている。唯一の例外は、時系列の最初にあたるホメロスである。時系列で2番目にあたるギリシャの劇作家はホメロスを参照している。次に来るヘロドトスは、ホメロスアイスキュロスを参照している。少し下ってアリストテレスは、事実上全ての先達を参照している。というような感じで、Great Booksの終わりの6巻分を占める20世紀の作家に至るまで、各著者の参照した先達の名前がリストされている。

 一般的に、現代に近い著者ほど、参照している先達が多い。例外はあるが、それはその著者の時代やその本の種類によって説明されるものではない。19世紀の終わりに、マルクスメルヴィル、ウィリアム・ジェームズ、フロイトは、多数の先達を参照している。20世紀のホワイトヘッドアインシュタインハイゼンベルク、トーニー、ウェーバージョイスも同様である。

 20世紀の作家の一部、特にフィクションの作家の下にリストされている先達が少ないのは、これらの作家の代表作が一般的に長い作品ではなく短い作品であるという事実によって説明できる(この理由は後述)。これは、20世紀の著者の内の数名が(ヘンリー・ジェイムズコンラッドチェーホフカフカ、D.H.ローレンスなど)著者間索引にまったく登場しない理由の1つでもある。もう1つのポイントは、たとえばヘンリージェイムズがバルザックの影響を受けたように、フィクションの作家は先達の名前を挙げずとも、先達の業績の下に作品を築いており、先達の影響を強く受けていることだ。

 例外を除けば、Great Booksの著者たちは文学の伝統を受け継いだ人々とされており、またその伝統の後継者たちによって最も広く読まれた人々でもあるということは、未だに言えるだろう。

 Great Booksに収録されている作品の内、ある種の本は——哲学や神学の本、伝記や歴史の本、社会科学の本——、異なる方法で偉大なる会話に寄与している。これらは全て、著者の意見、見解、議論、理論を非常に明確に表現した、談話的な、あるいは説明的な本である。シントピコンにおけるこれらの作品への参照箇所は、彼らの意見、見解、議論、理論の明示的な記述になっている。

 対照的に、想像力豊かな文学作品(説明的な作品ではなく、物語的な作品)は、異なる種類の寄与をしている。ある場合には、著者自らが意見や見解を表明するが、そこに議論や理論が含まれることはめったにない。またある場合には、物語中のあるエピソードが、あるトピック=小項目の重要性を示す具体例として参照される。しかしほとんどの場合で、これらの作品の文章には、物語の登場人物が抱き、展開した意見や見解が含まれている(議論が含まれているかいないかはまちまちだが)。

 数学の作品と自然科学の作品は、Great Booksのうちでも3種類目のタイプであり、直接的にではなく間接的に偉大なる会話に参加している。それらは、数学、自然科学系の作品の、偉大なアイデアに対する特別な寄与を示すために作られたトピック=小項目の下に参照指示されていることが多い。

 (3)3番目の根拠は、「著者-アイデア索引」である。これは本書(「The Great Conversation」第2版)の83-94ページに載っている。例えば、ゲーテは102の素晴らしいアイデアのうち61のトピックで引用されており、ルソーは82で引用されている、ということを見て取ることができる。

 「著者-アイデア索引」を見れば、著者がおおよそ時系列の順序でリストされている。各著者の名前の下には、その著者の作品で言及されているアイデア=大項目のリストが添付されています。

 「著者-アイデア索引」が明らかにしているのは、少数の数学者と自然科学者を除き、ほとんどの著者が、偉大なアイデアについての偉大なる会話に多大な貢献をしたということである。

 「著者-アイデア索引」に関連して、Great Books of the Western World第2版に追加された20世紀以降の作品についての、驚くべき事実に注意を向けなければならない。今世紀と、それに先立つ西洋文明の2500年間の歴史の間には、明らかに断絶がある。これまでの歴史には登場してこなかった、不連続性を示すしるしがある。ホメロスから19世紀の終わりまでの偉大なる会話の、途切れることのない連続性は、そこにおいて断絶したも同然となる。

 20世紀の哲学、自然科学、社会科学、想像力豊かな文学の作品をはじめとして、革新、発展、斬新さが生じると、矛盾は顕著になり、これまで表面化しなかった否定と不和が強調されるようになった。これは、上記の理由から、想像力豊かな文学者にはあまり当てはまらない。文学者は先達の蓄積の上に仕事を行っているが、先達の名前を出すことはない。したがって、20世紀において、ショーにイプセン(そして確かにエウリピデス)の影響を見て取ることができる。

 シントピコンと「著者-アイデア索引」で証明されているように、20世紀の著者は、先達が寄与したのと同じ一連の偉大なアイデアに取り組んでいるという事実と、それから「著者-著者索引」で示されているように、20世紀の著者のほとんどは、先達の仕事に注意を配っている事実があるのに、どうして20世紀の著者とそれ以前の著者との間に不連続性の覚えてしまうのだろうか?

 シントピコンは、Great Books of the Western World第2版で追加した45人の20世紀の著者に対応するために、大幅に改訂する必要があった。そこで、私(アドラー)が編集アシスタントとともに行った、シントピコンの2つの主要な改訂について見てみよう。

 1つ目は、主に私(アドラー)が行ったものだが、編集者の推奨事項にも注意を払った。 1940年代に、私はシントピコンの各章の先頭に位置する、102の「導入エッセイ」(Introduction)を書いた。各導入エッセイは、そのアイデア=大項目の、言わば山場——あるテーマや問題の扱いにおける著者たちの間の主な不一致と論争、あるいは著者たちの一致点と知的な類似性——に焦点を当てようとしました。

 導入エッセイは40年以上前に書かれたものではあるが、内容が古びたわけではない。しかしGreat Books of the Western World第2版で追加された新しい著者にも触れなければならないので、結局書き直すこととなった。導入エッセイの徹底的な改訂は後者の理由で行われ、主に20世紀の著者とその先達たちとの不一致、またはそれまでの著者たちが扱っていたテーマからの逸脱、新分野の開拓について強調することになった。これらのブレークスルーを強調しなければならなかったのは、特に数学と自然科学に関するアイデア=大項目の章の導入エッセイだった。

 私たちが行った改訂作業では、20世紀とそれ以前との間の不連続性の、更に明らかな証拠がある。Great Books第2版で追加された著者たちによる偉大なる会話を含めるために、Great Books第1版のシントピコン索引に、新しい項目を追加する必要が生じたのだ。

2500年にわたる西洋世界の伝統を担った作品全てへの参照指示を持った3,000個のトピック=小項目は、もはやその目的を十分に果たしていなかったのだ。102のアイデア=大項目の2/3以上について、新しい著者、特に20世紀の著者からの文章に対応するために、新トピック=小項目の追加、古いトピック=小項目の変更、拡張が必要になった。

 「トピックの見取り図」(Outline of Topics、トピック=小項目の構造体)の大部分に大きな変更——全く新しいトピック=小項目の追加、古いトピック=小項目の大幅な拡張を含む変更——を加えなければならなかったのは、「天文学宇宙論」(Astronomy and Cosmology)、「要素」(Element)、「進化」(Evolution)、「数学」(Mathematics)、「力学」(Mechanism)、「場所」(Space)、「時間」(Time)、「富」(Wealth)、「世界」(World)である。

 20世紀に物理学と生物科学において起きた革命——つまり相対性理論量子力学、遺伝学と進化論の進歩——を知っている人ならこのことには驚かないだろう。しかし、経済学の進歩が、「富」というアイデア=大項目について新しいトピック=小項目を付け加えたことや、上記のアイデア=大項目におけるトピック=小項目の大規模な再編成が、これらのトピック=小項目——「動物」(Animal)、「運」(Chance)、「民主制」(Democracy)、「言語」(Language)、「物質」(Matter)、「哲学」(Philosophy)、「物理学」(Physics)、「宗教」(Religion)、「科学」(Science)、「真」(Truth)——に関連して生じたことには驚くかもしれない。

 この節を締めくくるにあたり、ハッチンスによって書かれた偉大なる会話に関するエッセイから少し引用しよう。なおこの引用部分は、本書に収録されたハッチンスによる「The Great Conversation」の抄録にも記載されている。

 西洋の伝統は、歴史の黎明期から今日に至るまで続く偉大なる会話として具現化されている。各文明それぞれに長所があるとは言え、この点で西洋文明に比類するものは存在しない。他の文明は、自身の明確な特徴がこの種の対話であると言うことができないはずだ。西洋文明における対話は、その対話に寄与した作品の数において、他の文明を圧倒している。西洋社会の目標は、対話の文明である。西洋文明の精神は、探究の精神である。西洋文明の最重要要素は、ロゴスである。議論されないまま放置されている物事は存在しない。誰もが自分の心を話すべきだ。提案は検討されないまま放置されるべきではない。アイデアのやり取りは、種族の可能性を現実化するための道であると考えられている…

 偉大なる会話は、対話の文明を象徴している。対話の文明は、自由な人間が、生について思考する唯一の文明である。それは、今ここでその文明の実現を促進している。Great Booksは、西洋における最も偉大な著者たちが述べているような、最も重要な問題を、継続的な議論を通じて明確化し理解する、という原理に基づいて構成されている。その目的は、偉大なる会話を未来に投げ入れ、誰もがそれに参加するようになることである。これらの作品の寄与が期待されているのは、自由な精神の共同体である。

 

3Great Books of the Western Worldの第2版は、なぜ/どのように第1版と違うのか

要約

・20世紀前半の作品については、第1版(52年出版)編集時には評価が固まっていなかったが、第2版(90年出版)編集時には評価も固まってきていたので、選定し収録した。

・20世紀半ば以降の作品は、第2版編集時には評価が固まっていなかったので、収録しなかった。

・19世紀以前の作品についても再検討を行い、結果としていくつかの作品を追加した。

・「シントピコン」の再編成はもちろん、各作品の訳文、「追加文献リスト」(Additional Readings)、「用語目録」(Inventory of Terms)の改訂も行われた。

・偉大な作品には読者を導く手すりのようなものが含まれているので、読者と作品との対話を優先する意味でも、解説文の類は一切載せていない。これは第1版、第2版に共通の特徴である。

・第1版、第2版ともに、広範な教養を持った著者による、人間の一般的な関心に応えた作品を選定している。20世紀半ば以降の作品が収録されていない理由の1つとして、専門主義の蔓延によって、この基準を満たす作品が非常に少なくなったことが挙げられる。

  Great Books of the Western World第1版が編集されてから、ほぼ半世紀が経った。一体この半世紀の間に起こったどんな出来事がGreat Booksの改訂、改善、強化、拡張を要請したのだろうか。

 それは、Great Books第1版に含まれていない偉大な作品が20世紀の前半に登場したということである。このことから、第1版の編集方針を覆さなければならなくなった。 ハッチンスは1951年の文章で、第1版編集時の事情について次のように説明している。

 編集者は、20世紀が始まる前に偉大なる会話が終わったとは考えていない。今世紀の前半になっても偉大なる会話が続いていることは承知しているし、今世紀の残りとその後の何世紀にもわたって偉大なる会話が続くことを望んでいる。1900年以降も偉大な作品が書かれており、20世紀の作品が偉大なる会話に多くの新しい「声」をもたらすと確信している。

 ではなぜ1900年以降の著者や作品を省略しているのか? それは、現代の著作の価値を正確に判断することは不可能だと編集部が考えたからだ。編集会議において、19世紀の著者と作品を検討する際でさえ、それ以前の作品よりも一層難しい問題が生じたが、このとき生じた問題——19世紀の著者が私たちの時代に近いこと、その結果、それらの作品を収録すべきか検討するのに十分な材料がないこと——は、20世紀の著者の選定に際してより先鋭化した。

  第2版​​の編集部は、20世紀前半になされた偉大なる対話に寄与した主要な作品を評価する材料は、1980年代後半までに揃ったという理由で、顧問の承認を得た上で、第1版の編集方針を変更した。

 しかし同時に、第1版の方針もまた再確認された。つまり、第2版の編集会議では、60年代半ば以降に書かれた作品は検討されなかった。なぜなら、その作品の評価について十分な合意が得られるほど、そして信頼できる判断を下せるほどの材料が揃っていなかったからだ。

 第55巻から第60巻には、哲学、自然科学、歴史、社会科学、文学における20世紀以降の著者の作品が収録されている。編集部の見立てでは、Great Booksの編集を担う後継者たちは、ここに含まれる45人の著者を、20世紀前半の偉人と捉えるはずだ。これらの著者は、将来におけるGreat Booksの改訂において、主要な作品が含まれることになる著者の候補である。ある意味で第55〜60巻は、その候補者たちの作品のサンプルであり、例えば2050年にGreat Booksが改訂されたら、著者たちの主要な作品が含まれることになるかもしれない。

 第2版の編集で追加されたのは、20世紀以降の著者だけではない。19世紀以前の作品で追加されたものもある。第1版に収録されている著者の作品は不滅の価値を持っているし、それらはホメロスから19世紀末までの2500年間に書かれたものだ。どうして19世紀以前の作品についても再検討が行われたのか?

 第2版の編集部は、第1版と同じ選定基準(この文章の第1節を参照)に基づき、第1版の編集部による選定を再検討しなければならないのではないかと感じていた。第2版の編集部の大部分は、1940年代におけるGreat Books第1版の作品の選定において意見を求められなかった若者であった。彼らは現在、学者として成熟しており、1940年代に収録を見送られた著者や作品について選定し直す素養を持ち合わせていた。

 第2版で追加された著者のうち数名は、第1版の編集会議でも激しい議論の対象となった人々——特にカルヴァンエラスムスモリエールヴォルテール——である。しかしほとんどは19世紀の作家——キルケゴールニーチェバルザックジェーン・オースティンジョージ・エリオットトクヴィルディケンズマーク・トウェインイプセン——であり、第1版の編集時(1940年代)に比べ、偉大なる会話への貢献に関する評価は固まってきている。

 現代に近づくにつれて、選定における懸念は増えていった。ホメロスから近代の初めまでの作品の選定について、まともな見識を持った人の間で意見が割れることは全くなかった。意見が割れたのは、17世紀以降の著者、作品の選定である。現代に近づくにつれ、意見の相違はますます増えていった。

 それでもなお、意見の不一致が解決できなかったために第1版の編集部が判断を放棄した作品の選定において、信頼できる判断を下せると私たちは信じている。これに関連して、私たちが作品選定に際してどの程度の不一致までを許容したのかということについて説明しよう。

 100%の一致は明らかに不可能であるから、90パーセントの合意を受け入れることが合理的であると私たちは考えている。これは第1版、第2版でともに達成された。

 第1版に関して、批判者たちが収録作品から外すべきだ、あるいは入れるべきだとした著者は7人未満だった。第1版に収録された作品の著者74人の、10パーセント未満である。第2版​​に関して、批判者たちが外すべき、あるいは入れるべきとした著者は13人未満だった。これは、第2版に収録された作品の著者130人の10パーセントである。

 ここまで、Great Books第2版においてGreat Booksがどのように充実し拡張したかを述べてきた。では、他にどんな点が改善されたのか?

 いくつかの作品で、翻訳が初版のものよりも良質なものに取り替えられている。1940年代時点では存在しなかったり、入手不可能だったりしたものだ。第2版には、「ホメロス」、ギリシャ悲劇と喜劇、ルクレティウスウェルギリウスアウグスティヌスの「告白」、ダンテの「神曲」、チョーサーの「トロイルスとクリセイデ」と「カンタベリー物語」、モンテーニュの「エセー」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、ゲーテの「ファウスト」の優れた、あるいは最上級の翻訳が収録されている。

 改訂についてはどうだろうか? さきにも述べたように、シントピコンにおける102のアイデア=大項目の「導入エッセイ」はすべて、第2版で追加された作品に対応するため、改訂が必要だった。同じ理由で、アイデア=大項目の下にあるトピック=小項目を、変更したり拡張したりする必要が生じた。また、その3,000のトピック=小項目において、第2版で追加された作品への参照指示を加えなければならなかった。

  更に、 シントピコンにおける102のアイデア=大項目の各章の「追加文献リスト」には、非常に多くの新しい作品が追加された。「用語目録」にも、過去40年間に流通するようになった新しい用語が追加された。

 以上で、Great Books第2版が第1版とどう違うかについて十分述べられたはずだ。第1版と第2版においては編集スタッフ、及び顧問を構成するメンバーが異なっている、ということも言っておこう。

 これまで言及してこなかったが、第1版における編集方針のうち、第2版にも受け継がれたものがある。それは、この種の作品を出版する際に決まってついてくる、アカデミックな解説文を一切載せないというものである。高名な学者の書く、著者の経歴どころか、著者の見解やその歴史的重要性まで説明するようなエッセイは、Great Booksには含まれていない。

 Great Books含まれているのは、著者の簡単な経歴のみである。場合によっては、編集作業の過程で生まれたイラストや地図、特別な索引も付している。しかし、それが読者の理解に不可欠であると編集部が判断しない限り、少数の例外を除いて、編集部によるコメントや補足説明という形で情報が提供されることはない。

 この方針を採用する理由について1951年にハッチンスが述べているが、それは第2版の編集時(1989年)においても説得力があるように思われた。

 アドバイザーは、アカデミックな解説をGreat Booksに含めるべきでないと助言した。だから、編集者が著者の見解を紹介する「導入」は、Great Booksには載っていない。作品自体の内容は、作品自体に語らせるべきであり、読者は自分で内容を理解すべきである。偉大な作品には、読み手を導くような補助装置が含まれているものだ。それこそが、偉大な作品の偉大な作品たる由縁(の1つ)である。私たちは、普通の人にもこれらの偉大な作品が理解できるはずなので、著者と読者の間に媒介物を入れる必要はないと考えている。

 作品の選定について、最後に述べておくべきことがある。それは18世紀と19世紀にもその兆候が見られたが、20世紀において深刻な懸念事項となるものだ。ごくわずかな例外を除いて、偉大な作品の著者はすべて万能博学の人(ジェネラリスト)であり、専門家ではない。彼らは、著者として、特定分野の専門家ではない、知的素人である一般大衆に向けて作品を著した。

 ドイツ型の近代大学の台頭と博士号の革新、それから人文学および科学(それらは、医学、法学、神学という伝統的な学部の扱う範囲を超え出たものである)の学者、研究者を擁する新しい学部の発展に伴い、専門化の時代が始まった。それとともに、学問共同体の中で流通する本が作られるようになった。

 第1版においては、広範な教養——そこに特別な能力が加わっていても問題ない——を身につけた著者によって書かれ、専門家の狭い関心ではなく、人間の一般的な関心に応えている作品を収録すべきだという選定基準が採用されていた。第2版で20世紀の作品が加わると、その選定基準はより重要視されるようになった。

 ここで2つの事実を述べておかなければならない。 1つは、この懸念が哲学、自然科学、社会科学の分野で書かれた作品のほぼ全てに、完全に当てはまるという事実だ。これは文学には全く当てはまらない。クリフトン・ファディマンが次のエッセイ(「20世紀の作品による寄与」)で指摘しているように、20世紀の作品による寄与は全て、一般的な人間の関心に応えている。それまでの文学の伝統において、先達による寄与がそうであったように

 哲学、自然科学、社会科学、歴史などの分野における20世紀以降の作品を選定する際には、幅広い知識を持ったジェネラリストと狭い知識しか持たない専門家の境界線、一般的な関心事と専門家の関心の境界線を常に意識しておく必要がある。

 オルテガ・イ・ガセットが「大衆の反逆」の中で「専門主義の野蛮性」(the barbarism of specialization)と呼んだものは、第二次世界大戦以来、私たちの文化に影響を及ぼし続けている。20世紀の最初の30年間に発表された本は、ほとんどの場合、19世紀に生まれ、教育を受け、専門主義の蔓延に屈さなかった著者によって書かれたものだ。第二次世界大戦後に発表された作品は、20世紀に生まれ、教育を受けた著者によって書かれた可能性が高く、彼らは大学にそれ相応のポストを持っているために、専門主義に毒されてしまいやすい。

 これが、Great Booksに収録する作品を20世紀半ばまでのものとしたもう1つの理由である。21世紀に近づくにつれて(この本=「The Great Conversation」第2版が出たのが1990年)、全ての学問分野でますます専門主義が蔓延しているので、知識人が、専門家集団ではなくて一般読者に向けて書いた作品を見つけるのが、ますます困難になっている。

 専門主義の野蛮性が何らかの形で克服されない限り、20世紀の終わりから21世紀にかけて、哲学、自然科学、社会科学、歴史の分野において真に偉大な作品が生み出されることはありそうにない。

 

4質問と応答

要約

・Great Booksへの批判の大部分は、誤解に基づくものか、藁人形論法である。私たちの主張は、Great Booksは読者が偉大なる会話に参加するために作られたものであり、Great Booksプログラムは個人が「理解」と「知恵」を獲得するための最良の方法である、という極めて穏当なものである。

・1988年に巻き起こった古典に関する論争は、大学における入門講義で提示された読書リストを争点としたもので、Great Booksには何ら関係がない。

・なぜ極東(Far East)の作品を収録しなかったのか? 

 →その伝統に連なる作品が西洋世界における偉大なる会話に参加していないから。未だ実現していない世界規模の文化圏が出現した際には、Great Books of the Worldを作るべきである。

・なぜ数学や自然科学の著作が収録されているのか?

 →それらは本来一般読者にも読みやすく、更にそれを読むことで各学問の構造などが把握でき、また現代人に読まれるべきだから。

・Great Booksは普通の人には読みにくいのでは?

 →人間の根本的な問題を扱っているので難しいとも言えるが、それらの問題についての最良の思考を最も明解にまとめたものなので易しいとも言える。

・どう読み進めるべき?

 →シントピコンを使って興味のあるトピック=小項目に関連する作品を読んでもよいし、10年間の読書計画の例(「Ten Years of Readings」)を参考にしてもよい。

  これまでなされてきたGreat Booksやシントピコン、The Great Conversationへの批判を整理しよう。

 Great Booksプログラムは1921年コロンビア大学で最初に導入され、1930年にシカゴ大学で採用され、1937年にセント・ジョーンズ大学で必修カリキュラムの中核となったが、その間多くの疑問が提起されてきた。Great Booksセミナーを学外にも広げていくため、1947年にGreat Books財団が設立されると、学校教育を修了している大人がGreat Booksを読んで議論することの教育的意義について、更に多くの疑問が提起された。

 この30年の間に提起された疑問は、Great Books第1版(1952年出版)の編集時に検討された。Great Books第1版は、主要な文芸雑誌に掲載された多くの批評において、1つか2つの例外を除き、好意的に受け止められた。

 30年の間に提起された疑問によって、どのような誤解を解かなければならないのかがはっきりしたのである。そのような疑問に対して、反対の論陣を張るという必要は全くなかった。

  第1版が出版されてから30年経った1988年、学界では、「名著」(great books)についての激しい論争が巻き起こっていた。論争は、西洋文明の歴史を扱う大学の授業で扱うべき「古典」(classics)とはどの作品のことであり、現代の作品についてはどんなものを読むべきなのか、ということを争点に展開された。今世紀に入って初めて、「名著」とされてきた作品のリスト全体にケチがつけられた。極東の文学を除いて、西洋の文化圏に関心が限定されていることや、白人男性(ヨーロッパとアメリカ)以外の著作を無視する性差別的、人種差別的な偏見に対して、異議が唱えられたのである。

 この論争に参加した人々は恐らく、今世紀の前半に起こった議論について知らなかったのだろう。論争が起こった学問的文脈は、Great Booksプログラムとこの論争との無関係を証し立てていた。というのも、Great Booksは、西洋文明の見取り図として編まれたのではなく、偉大なアイデアに親しみ、偉大なる会話に参加するために作られたものだからだ。

1988年の「古典」に関するように見える学術的な論争と、Great books第2版に代表される出版プロジェクトとが、無関係であると言える根拠は、本節の後ろの方で説明している。

 このことを念頭に置いて、Great Booksに対して提起された主な疑問を見てみよう。その後、それらの疑問に応答するが、Great Booksに対する主張の多くは、あまりに極端で、応答するのもばかばかしいものだ。マーティン・H・ケネリー市長が制定した「Great Booksウィーク」を祝うためにシカゴに集まった大勢の聴衆に向けて私が行った、1948年の演説から引用しよう。

 Great Booksに対して表明された批判のほとんどは誤解であって、批判者たちと私たちの間に真の意見対立はありません。批判者たちの大部分は、私たちが発していない主張を私たちのものであると訴え、私たちの目指していない目的や目標を、私たちが目指していると非難しているのです。

 このことは、私たちや、あるいは批判者たちが、どんな類の主張をすれば、真の意見対立が生じると言えるのかを示せば、分かってもらえるでしょう。

 例えば、私たちが、大人にとって読む価値のある本はGreat Booksだけであると言ったり、あるいは批判者たちが、そんなものは読む価値が全くないと言ったりしたとしましょう。また、批判者たちが、Great Booksは精神の継続的な発達に全く寄与しないと言ったり、あるいは私たちが、完璧かつ包括的な教育を提供するためにはGreat Booksを読ませ、議論させさえすればいいと言ったりしたとしましょう。更に、私たちが、Great Booksプログラムに参加すれば善良な市民になれると言ったり、批判者たちがGreat Booksプログラムと善良な市民の育成は全く無関係だと言ったりしたとしましょう。批判者たちが、人間は現在の出来事を知っていればよく、アイデアや理論が重要だとしても、そのうち目下議論されているものだけ追っていればよいと言ったり、私たちが、現在の出来事に関心を払う必要はなく、昔から議論されてきたアイデアや理論について考えるべきだと言ったりしたとしましょう。

 これらの場合には、そこに真の意見対立が生じていると言えます。しかしこんな極端な主張をする人は、私たちの中にも、批判者たちの中にもいないのです。

 さて、Great Booksプログラムに対する私たちの主張は、それが…個人が「理解」と「知恵」を獲得するための最良の方法であるということです…。

 この穏当な主張が誤解されないように、私たちがGreat Booksについてどんなことを主張していないかを述べてみましょう(傍点は訳者による)。

 私たちは、Great Booksが、持つ価値のある全ての知識を提供するとは主張しません。むしろそれからは程遠いと言えます。私は、Great Booksプログラムが提供することを目指している、精神にとって必要なものを、「知識」という言葉で名指すのを慎重に避けました。いくつかの、非常に基本的な知識がGreat Booksから得られないからではありません。多くの知識分野において、Great Booksよりも他の本や情報源の方がはるかに有用で、しかも多くの場合不可欠であるという事実を強調したかったからです。

 私たちは、Great Booksが、人間の手に入れうる美徳や卓越性の全てを発達させるとは主張していないし、倫理的な美徳については特にそうだろうと考えています。良い精神を持っていたとしても、それだけのことです。良い人間と良い市民は別のものです。しかしながら、良い精神を持ち、理解や知恵を得ることで、良い人生を送るチャンスが減るのでないとしたら、Great Booksプログラムは、読者が良い人生を送る可能性を狭めはしないでしょう。そして逆に、精神を高めることが、市民生活においても私生活においても役立つのだとしたら、Great Booksプログラムが精神を高めるために提供するものは何でも、その人の幸福の追求と、市民としての義務の達成に役立つでしょう。

 しかし、私たちは、Great Booksを読んだり、それについて議論したりすることが、必ずしも人間をより良いものにするとは主張しません。なぜなら、Great Booksが精神を良いものにするとは限らないからです。私たちに言えるのはせいぜい、Great Booksは精神を高めるための最良のチャンスを提供するということくらいでしょう。もし精神を高めるチャンスを掴んだとして、その他多くの要因が良い方向に働けば、結果としてその人はより良い人、より良い市民になっているかもしれません。

 さて、以上の部分では応えられていない質問について、以下応答していこう。

 

 (1)極東(Far East)の作品がなぜ含まれていないのか?

 これは見落としではなく、Great Booksに含む作品を西洋世界のものに限定するという、編集上の決定である。西洋世界の知的・文化的伝統はただ1つであるが、極東には4つ、または5つの全く異なる知的・文化的伝統が存在する。それぞれの伝統において、偉大なる会話に類することが起こっているのかもしれないが、1つか2つの例外を除き、これら極東の伝統に連なる作品は、西洋世界における偉大なる会話に参加しているとは言えない。

 真にグローバルな文化的コミュニティは未だ存在しない。自然科学とそれらが生み出した技術は今やグローバルであると言えるかもしれないが、宗教、哲学、社会科学の分野には未だ越えがたい文化的障壁がある。世界規模の文化的コミュニティが出現すれば、Great Books of the Worldの出版を検討すべきだろう。

 

 (2)Great Booksに収録する作品の選定基準が、喜びや利益のために何回でも再読できることだとしたら、その基準を満たしていないはずの数学的、あるいは科学的な作品がなぜ含まれているのか?

 数学的、あるいは科学的な作品は、文学や、あるいは哲学、神学、歴史よりも、再読しにくいだろう。しかしこれらの作品は、何度も研究する価値のあるものだ。それはまた、それらの作品に含まれている情報そのものの研究ではなく(その点で言えば、大学の教科書の方がうんと優れている)、それらの作品が数学と物理学、物理学、生物化学についての私たちの理解にどう寄与したのか知るための研究である。

 自然科学諸分野を形作った基礎的な作品をよく研究することで、それらの学問分野の基本構造と制御原理を理解することができる。シントピコンで扱われるアイデア=大項目の中には、「天文学宇宙論」(Astronomy and Cosmology)、「数学」(Mathematics)、「力学」(Mechanics)、「物理学」(Physics)、「科学」(Science)が含まれている。Great Booksに数学や自然科学における古典、名著が含まれていなければ、これらのアイデア=大項目についての偉大なる会話を追うことができなくなってしまう。

 この応答に満足できなかった読者は、本書(「The Great Conversation」第2版)におけるハッチンスのエッセイ(「偉大なる会話」)で、実験科学ついて説明している第V章を読んでほしい。ここでは、この疑問に関連する文章を、ハッチンスのエッセイの序文から引用しよう。

 詩を読むことは誰にでもできるが、数学書を読むことができるのはごくわずかな人である、という考えは不当であると私たちは信じている。私たちの社会にはエンジニアや技術者が無数に存在するのだから、多くの読者が、数学や科学における傑作は他の多くの作品よりも理解しやすいと考えることをこそ、私たちは期待すべきなのだ。ストリングフェロー・バー(Stringfellow Barr)の言うように、世界は急速に、感傷的なだけのクソみたいな詩と真に良い詩の区別がつかない技術者と、必要なときにボタンを押す以外は電気について何も知らない「文化的な」人々とに分かれてきている。高度に技術的な社会において、市民はすぐにでも、数学と自然科学の基本的な考え方を理解するべきである。

 

 (3)Great Booksは、普通の人には読みにくいのではないか? 好奇心旺盛だが知的には素人、という人にも読むことができるものか? 

 ハッチンスは何年も前に、「Great Booksはある意味で最も難しい本だが、ある意味では、誰にとっても最も読みやすい本である」と述べ、次のように続けた。

 確かにGreat Booksはとても難しい。なぜならGreat Booksの著者たちは、人間が直面しうる最も難しい問題を、非常に複雑なアイデアを用いて扱っているからだ。しかしGreat Booksは、その最も難しい問題についてなされうる最良の思考を、最も明確かつシンプルな形で表現したものでもある。人間の根本的な問題を扱ったもので、読みやすい作品は存在しない。1つ目の作品を読んだ後に、他の作品を手に取ると、2つ目の作品の方が1つ目より理解しやすく、また1つ目の作品についての理解も深まるということが分かるだろう。Great Booksにおける作品の選定基準は、構造と構成が卓越していること、その美しさがすぐに分かること、より深い読解と分析によって理解が深まること、重要な知識について広範囲に、最深部まで導いてくれること、である。

 

 (4)どの作品から読み始めるべきか? どのように読み進めるべきか?

 この疑問を持った人は多いかもしれないが、これまでの疑問への応答の中で、部分的に答えている。シントピコンを使えば、Great Booksに収録されている作品を全部読まなくても、訳3,000のトピックのいずれかに言及した作品を読むことができる、と述べた部分も、この疑問への応答の1つだ。

 ちなみに、本書(「The Great Conversation」第2版)p95-98に、10年間の読書計画の例(「Ten Years of Reading」)を示している。毎年20人以上の著者について、作品全体、またはその一部を読むものになっている。

 

 西洋文明や世界文化に関する大学教育のコースで、どの本が読まれるべきかということについて、1988年に論争が巻き起こったが、その論争はGreat booksプログラムと密接に関係しているように見えて、実際は無関係であると先に述べた。その理由について説明しよう。

 分不相応な注目を集めたその論争において、問題となった読書リストには、古代ギリシャ人から現在までの、約15人の著者が含まれていた。そこに白人男性、アメリカ人、ヨーロッパ人ではない著者が含まれていたとしても、またそれが西洋や世界の文化史に関する講義を補足することを意図していなかったとしても、この論争はGreat Booksが携わっている教育プログラムとは何の関係も持たない。

 コロンビア大学シカゴ大学、セント・ジョーンズ大学、セント・メアリーズ大学、ノートルダム大学、トマス・アクィナス大学のように、Great Booksプログラムが大学のカリキュラムに導入されると、 2年間で扱う著者は60名を超え、読んで議論する作品の数はそれを上回る。同様に、4年間で扱う著者は120名を超え、作品数はそれを上回る。このような教育プログラムは、1988年に批判のやり玉に挙がった大学の入門講義とは、比べ物にならないはずだ。まして、130名の著者と517の作品を含み、102のアイデアに関連する3,000のトピックの導き手となるシントピコンを擁したGreat Books第2版とは、いかなる意味でも比べられるものではない。

 

5謝辞

 ハッチンスは、エッセイ(本書「The Great Conversation」第2版収録の「偉大なる会話」)の序文で、編集部、国際的な顧問委員会、第1版をデザインした印刷技術者、そして何よりもウィリアム・ベントン上院議員に感謝の意を表している。Great Booksを刊行しようと提案したのは、ベントン氏である(本書p48を参照)。私(アドラー)からも、Great Booksの共同編集者として、私たちを支援してくれた全ての人々に、特にベントン上院議員に感謝の意を表したい(https://en.wikipedia.org/wiki/William_Benton_(politician)を見ると、ベントンは元々広告代理店の人で、ブリタニカ百科の編纂やら国連やらに携わったりしていたが、Great Books第1版出版に前後して上院議員になったらしい:訳者)。

 1952年に出版されたGreat Books第1版の編集において、私はシントピコンの編集長であり、Great Booksの共同編集者でもあった。 シントピコンの制作は、大規模なスタッフによる7年間もの作業を要した(スタッフの名前はシントピコンに記載されている)。第2版の制作に際しては、102の各アイデア=大項目における「導入エッセイ」とトピック=小項目、「追加文献リスト」や「用語目録」の改訂に多くのスタッフの労力が注ぎ込まれた(第2版におけるスタッフの名前もシントピコンに記載されている)。

 「導入エッセイ」、「トピックの見取り図」、「追加文献リスト」、「用語目録」の改訂を支援してくれた人々の内、特に数名に対して特別な謝辞を述べたい。ジェレミー・バーンステイン、ダニエル・ブラウン、ジョン・ケネス・ガルブレイスは、物理科学、生物科学、経済学、社会学に関するアイデア=大項目における「導入エッセイ」の改訂に協力してくれた。ウェイン・モキン、リー・カンツ、W・ジェフリー・ロンメル、デニス・グランブリングは、「トピックの見取り図」、「追加文献リスト」、「用語目録」、「追加文献総合リスト」の改訂に協力してくれた。

 Great Books第2版​​の編集長として、支援してくれた多くの人に感謝の意を表したい。しかし、まず何よりも、私の共同編集者であるクリフトン・ファディマンとフィリップ・W・ゲッツ、そして、Great Booksとシントピコン双方の編集作業の全ての段階で、なくてはならない存在だったプロジェクト・ディレクター、アン・ディモポウロスに感謝を。

 編集委員会のメンバー、国際的な顧問委員会のメンバー、ブリタニカ百科事典の編集委員会のメンバー、ヨーロッパ、イギリス、カナダ、オーストラリア、アメリカの大学におけるブリタニカの編集諮問委員会のメンバーにも感謝を。彼らの名前は本書(「The Great Conversation」第2版)のp5~6に記載されている。編集の最終的な判断は私たちが行ったが、これら大勢の人々の助けがなければ、判断に至ることはできなかっただろう。

 また、ルドルフ・ルツィカによる第1版のデザインの一部を保ちつつ、第2版を制作してくれた著名な印刷技術者、ハーヴェイ・レッツロフにも感謝している。

 最後に、ブリタニカ百科事典の取締役会会長であり最高経営責任者でもあるロバート・P・グウィンに、多大な感謝の意を表したいと思う。彼は、Great Books of the Western Worldを充実させ、改善させることの教育的、文化的な意義を充分に理解してくれた。私たち全員が目指す目標について、彼のビジョンは明確であり、それが励みにもなった。彼のインスピレーションと、あらゆる場面における惜しみない支援がなければ、私たちは困難を乗り越えることができなかっただろう。

 

読者への提案

「The Great Conversation」Second Edition, Encyclopædia Britannica, Inc. p74-75

 

 読者はGreat Booksを前にして、どう読み進めるべきか考えあぐねているかもしれない。以下の提案がお役に立てれば幸いである。

シントピコンSyntopicon

 シントピコンは、Great Booksをどこから読み始め、どう読み進んでいくべきかという疑問への1つの回答である。シントピコンを使えば、読者自身の興味や関心に応じて作品を選ぶことができる。更に、各アイデア=大項目の下にあるトピック=小項目について言及した、Great Books内の全ての作品(の参照指示された部分)を読み通せば、1つのテーマにおける思考の展開を辿ることができる、

 Great Books内の複数の作品を同時に読む(シントピカル・リーディング)ことで、読者はGreat Books全体について徐々に理解を深められるし、それによって読みたい本も選びやすくなる。また、その本全体を読むための補助としてシントピコンを用いることもできる。シントピコンの使用に関する詳しい情報については、Great Books第1巻の序文(Introduction)を参照されたい。

 

著者-著者索引Author-to-Author Index

 「著者-著者索引」は、本書(「The Great Conversation」第2版)の中核を成しており、著者たちが先達の思考をどのように用い、拡張し、またそれに対してどう反駁したのかを示している(これについては、アドラーのエッセイ「偉大なる会話再訪」を参照されたい)。著者-著者索引は、偉大なる会話が確かに存在することを示し、著者たちによって議論される様々なアイデアの様々な側面の探究へと、読者を導く。

 例えば、著者-著者索引を参照すると、トクヴィルプラトンやミルトンを含む19人の著者を参照していることが分かる。ここで著者-アイデア索引に目を移すと、トクヴィルプラトン、ミルトンの全員が「進歩」(Progress)というアイデア=大項目に言及していることが分かる。そこでシントピコンを使用すれば、3人の著者による「進歩」についての思考を確認することができる(3人の著者全員を参照指示している、「71進歩」[ 6c知的伝統の利用と批判:誤りの中から真実を篩い分ける:過去の権威への反動]を参照)。

 

著者-アイデア索引Author-to-Idea Index

 シントピコンを利用して、Great Booksの著者一人一人により焦点を当てた方法としては、本書「The Great Conversation」第2版)の「著者-アイデア索引」で、お気に入りの著者や詳しく知りたい著者の項を見てみる、というものがある。著者-アイデア索引には、Great Booksのそれぞれの著者たちが参照指示されているアイデア=大項目が、著者ごとにリストされている。よって、特定の著者の作品を選ぶどころか、その著者の作品中の、特定のアイデア=大項目に言及した文章だけを選べるのである。例えば、ディケンズが「家族」(Family)と「富」(Wealth)についてどんなことを言っているのか知りたいとしよう。著者-アイデア索引を見ると、ディケンズの項に「家族」も「富」もリストされていることが分かる。よって、読者は、シントピコンで「家族」、「富」の章におけるディケンズへの参照指示のいくつかを選んで、それを読むことができる。

 

作品を読む順序 

シントピコンが可能にする読み方とは別に、個々の本をどんな順序で読めばよいか知りたいという人もいるだろう。しかし私たちはそれに対する答えを全く用意していない。Great Booksに収録された作品は、概ね古いものから新しいものへと時系列順に並べられているが、自分の好きなように読み進めることができる。全ての作品は、偉大なる会話を構成する一つの要素だが、偉大なる会話全体に精通していなくても、一つの作品を読んで楽しむことは十分に可能だ。読んだ作品が増えていくにつれて、読者は各著者が異なる視点から扱っている共通のテーマを発見するようになるだろう。

 

Great Booksの10年間読書計画Ten Years of Reading in Great Books

 本書(「The Great Conversation」第2版)の、「Great Booksの10年間読書計画」(Ten Years of Reading)を参考に読み進めることもできる。この読書計画表は、学生や大人を対象にしたGreat Booksプログラムで長年使用されてきたものだ。作品の全体や、または作品における最重要部分を時系列で、易しいものから順に読むことは、作品に親しむための効果的な方法であることが分かっている。

 各年のリストには、Great Books内の21の作品が含まれており、読者はリストの順に沿って読み進めるのではなく、そこから特に関心のあるものを選んで読めばよい。ただし編集者としては、一見魅力的には見えない作品も試しに読んでみることをお勧めする。このようにして読者は、新しい宝物を発見し、Great Books内の著者たちと親しむようになる。

 この10年間の読書計画を達成できた読者は、偉大なる会話について、広範にかつ深く精通しているだろう。そのような読者は、著者同士の関係や、著者たちの扱うアイデアの多様性とその相互関係について相場観を掴み、個人的な興味に従ってGreat Booksを読み続ける能力を充分に具えていると言える。

 

最後に

 以上の提案は置いておいても、読むことは読まないことよりずっと優れている。編集者としては、Great Booksを熟読するための仰々しい読書計画を作って、その計画が実行できるようなまとまった時間が取れるまで読むのを待つ、といったことはお勧めしない。Great Booksに収録された作品は、何十年、何百年にもわたって何百万もの人々に喜びをもたらし、それらの人々を啓蒙してきたものである。これらの作品は、レベルは様々であれ、知りたい、理解したいという欲望を持った人々によって読まれ、楽しまれ、研究されるために書かれたものだ。編集者として、読者の旅が上手くいくことを心から願っている。

*1:大澤聡「教養主義リハビリテーション」筑摩選書p118で竹内洋が言及していたのでたまたま知った…。自分の情報検索力のなさが恨めしい。