進化心理学と文化進化論(中尾央『人間進化の科学哲学』読書メモ)

 今回紹介するのはこちら。

中尾央『人間進化の科学哲学 行動・心・文化』名古屋大学出版会

 といってもここで取り上げるのは1,3,4章の内容(の一部)だけだし、筆者の理解もあやふやなので(また例によって手元に本がない状態で書いてるので)、正確に/詳しく内容を知りたい人はshorebird先生の記事を読んでください*1

shorebird.hatenablog.com

 

 さて、本書はまず第1部で人間の進化に関する代表的な研究プログラム(第1章は進化心理学、第2章は人間行動生態学、第3章は遺伝子と文化の二重継承説)について科学哲学的に考察し、第2部では文化進化論を取り上げて(第4章はプロセス研究、第5章はパターン研究)*2、第3部では具体的なケースとして罰(第6章)と教育(第7章)の進化研究について考察する、という構成になっている。

 正直第2章を読んでも人間行動生態学がどういう研究プログラムなのかよく分からなかったのと*3、文化のパターン研究(文化の系統樹とか地理的分布とかそういう話)にはあんまり興味が湧かなかったので、ここでは話題を絞って、進化心理学と文化進化論の関係などについて取り上げることにする。筆者は進化心理学と文化進化論について、前者がヒトに共通の普遍的性質に着目しており、その反動で文化差に注目が集まって後者が発展した、というような感じなのかなと漠然と考えていた。が、本書を読む限り、両者の関係はもっと複雑なようである*4

 なお筆者は進化論関係の話について知識がないので、変な部分があったら指摘してほしい。また以下の記述には、本書には載ってない内容も混じっている可能性がある。

 

人間進化の研究プログラム:ミーム論から文化進化論まで

 ここで取り上げる研究プログラムを大雑把に整理すると、こんな感じになる。*5

  • ミーム:文化の伝達をミームの複製と捉え、進化的観点から文化を研究する。
  • 進化心理学:ヒトの心は、進化的適応環境における適応課題に特化したモジュールの集合体である、という仮説を前提にヒトの心を研究する。
  • 文化の疫学*6:文化は継承されない/累積的に進化しないという仮説を前提に、アトラクターという概念を基にして、文化に類似性が見られる事実を研究する。
  • 二重継承説:文化の継承/累積的進化、および文化と遺伝子の相互作用を研究する。
  • 文化進化論:社会的学習による文化の継承を研究する。

 以下、これらの研究プログラムの関係を掘り下げてみたい(なお時系列っぽい書き方になっているが、そういうわけではないので注意)。

ミーム

 まず、1970年代以降の進化的観点からの文化の研究の発端の1つに、ミームがある。これはリチャード・ドーキンスによって提唱され、ダニエル・デネットやスーザン・ブラックモアによって発展していった分野で、文化の領域にも遺伝子と類比的な自己複製子(ミーム)が存在し、ミームが複製されることで文化が伝達されていく、という仮定に立った研究プログラムである*7

 ミーム論は、文化においては突然変異率が高すぎるから継承/累積的進化はあり得ない頻繁に自己複製子の融合が起こるから、遺伝子とのアナロジーは成立しない、といった批判を受けて、現在では衰退している

文化の疫学と進化心理学

 ミーム論に対してこうした批判を行ったのが分野の1つが、文化の疫学である。文化の疫学は、ダン・スペルベルやスコット・アトラン、パスカル・ボイヤーといった人類学者らによって提唱された分野で、文化は累積的に進化しないと考える。では世代を超えて文化に類似性が見られる事実をどう説明するのかと言うと、ヒトに普遍的にそなわる心的メカニズムによって形成されたアトラクターという道具立てを用いる。

 例えば世界の様々な地域に見られる生物分類は、概ね似通ったものになっている。これは、ヒトの記憶に残りやすいものは生得的にある程度定まっており、それぞれの地域で記憶に残りやすい生物分類が採用されたためだと考えられる。言い換えれば、生物分類など各地域に見られる文化は、細かい点では異なるかもしれないが、アトラクターの付近に分布しており、顕著な類似性も見られるのである*8

 そしてこのアトラクターを形成する心的メカニズムというのは、進化心理学における心的モジュールに対応する。ここで心的モジュールについて少し説明しておこう。進化心理学では、変動が少なく安定した適応課題がたくさん存在した更新世の環境(進化的適応環境)で、適応課題の解決に特化した心的モジュールが進化していったと考える。

 文化の疫学と進化心理学は、ほぼ同時期に独立に成立した研究プログラムだが、1990年のカンファレンス「文化的知識と領域特異性Cultural knowledge and domain specificity」には進化心理学創始者にあたるトゥービーやコスミデスだけでなく、スペルベルやアトランも参加していたらしい。またこのカンファレンス以降、文化の疫学の論者たちも、進化心理学に親近感を抱いていたという*9

二重継承説と文化進化論

 これに対して、ミーム論を拒否しながらも、文化の継承/累積的進化は可能であると示したのが二重継承説である。二重継承説は、ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァ&マーク・フェルドマン、ロバート・ボイド&ピーター・リチャーソンといった論者によって1980年代に創始された研究プログラムで、模倣バイアスから文化の継承を説明する。

 ヒトは集団の多数派や、名声がある人の行動を模倣する傾向を持っており、これを模倣バイアスと呼ぶ。そしてこの模倣バイアスこそが、文化の継承を可能にする。文化は確かに突然変異率が高い(模倣が失敗しやすい)のだが、多数派への同調などの補正が働くことで、模倣が成功し、次世代へと継承されていくのだ。更に突然変異率が高いので、模倣に失敗することで結果的に元の文化よりも適応的な文化を生み出す個体が出てくる。その個体が名声を得れば、多くの個体がその行動を真似て、更に多数派への同調も働き、適応的な文化が広まっていく、という形で、文化の累積的進化が可能になる。

 重要なのは、繰り返しになるが、ミームという自己複製子を想定することなく文化の進化を説明できるということだ*10。そのための鍵は、上に見てきたような模倣バイアスである。

 ではヒトはいかにしてこのような模倣バイアスを獲得したのだろうか。ボイド&リチャーソンは、ヒトが進化した更新世という環境は、気候的にも不安定で今後の予測が立ちにくく、自分で試行錯誤するよりも他個体を模倣した方が適応的だった、と主張する。

 ボイド&リチャーソンによる模倣バイアスの進化の説明は、進化心理学における進化的適応環境の仮説と対立するように見える。進化心理学では、更新世の環境は安定しており、安定的な適応課題が存在したので、心的モジュールが進化したという前提を置いていた。しかしボイド&リチャーソンは、更新世は不安定で将来の予測が難しい環境であり、安定した適応課題など存在せず(従ってそれに対応した心的モジュールも獲得され得ず)、模倣バイアスが進化する、と述べる。つまり模倣バイアスを重視する二重継承説の論者は、心的モジュール仮説に立つ進化心理学を攻撃しているわけである。この点については後に触れる。

 さて、この二重継承説を理論的基盤の1つにして、文化の継承を研究するのが文化進化論である。文化進化論における文化とは、社会的学習(同集団の他個体からの学習)によって獲得されるものを指し、個体がそれぞれに学習することで同じ行動が集団に広まる現象は文化には含まれない*11。この文化が、なぜ/どのように継承され広まっていき、いかにして大規模なパターン(系統や地理的分布)を生み出すのかを研究するのが、文化進化論という研究プログラムである。

 

対立の調停

 本書では、以上見てきたような対立は調停可能である(というか既に調停されている)としている。

更新世の環境を巡って

 心的モジュール/模倣バイアスを巡る、進化心理学と二重継承説の間の対立を見てみよう。この対立は、更新世の環境が安定的だったか不安定だったかという問題を巡って生じていた。

 ボイド&リチャーソンが示したように、更新世の環境が不安定だったというのは確かなようである。しかし、環境が不安定だからといって、安定的な適応課題が存在しないと直ちに結論づけられるわけではない。不安定な環境の中で変わらず存在し続ける適応課題は存在し得る。

 更に、模倣バイアスが進化するのは不安定な環境のみとは限らない。マイケル・トマセロらは、ヒト以外の霊長類に見られる模倣行動は目的模倣(エミュレーション)であり、模倣バイアスを持っているのはヒトだけであるとしているが、近年の研究ではチンパンジーに模倣バイアスが観察されたという報告もあり、模倣バイアスを持っているのが本当にヒトだけなのかはっきりしない。そうなると、更新世の不安定な環境ではないような環境で模倣バイアスが進化した可能性を考える必要があるが、一案として、例えば集団生活に伴う一般的な特徴として模倣バイアスを捉えなおせるかもしれない*12

 と、ここまで考えると、二重継承説の側が上で見たような強い主張をする根拠は乏しいように思われてくる。少なくとも、更新世の環境において安定した適応課題は存在しなかった、と積極的に主張するのは難しいのではないだろうか。

アトラクターを巡って

 二重継承説/文化進化論は模倣バイアスによって文化の継承を説明するが、文化の疫学は文化の継承を否定し、世代を超えて見られる文化の類似性をアトラクターによって説明していた。つまり文化の類似性を説明するにあたって、模倣バイアスによる継承を想定するか、アトラクターを想定するか、という対立が存在するわけである。

 上でも見たように、文化は突然変異率が高いので継承は不可能である、という文化の疫学の主張は、二重継承説によって否定された。しかし文化の疫学の採用するアトラクターという道具立ては、二重継承説/文化進化論にとっても魅力的である。

 例えば、様々な実験や観察から、最小限の反直観性を持つ(直感に反する要素が皆無ではないが、多すぎもしない)物語が広まりやすいことや、嫌悪感を催す話が広まりやすいことが分かっている。これはまさにアトラクターの例だと言える。つまり、どのような文化が進化しやすいか(文化の適応度)を考える際に、アトラクターが重要な要素になると考えられるのだ。実際に文化進化論の文脈では、「内容バイアス」という形で、文化の伝達に影響する模倣バイアスと区別された要因を扱っている。

 

感想

 文化進化関係の話が色々よく分かってなかったので、見通しよくまとめてあってとても参考になった。特に、文化進化論、ミーム学、文化の疫学あたりは全部似たようなもんだろうと頭の中で雑に括ってたので、ミーム学はもう凋落してるとか、文化の疫学側は文化の累積的進化を批判してる、というような話が知れてためになった。

 また、本書では各研究プログラムについて踏み込んだ考察を行って修正案などを提示しているのだが(例えば、二重継承説における模倣バイアスを、信頼できる他者を見分ける際に用いられる信頼性バイアスの一種として位置づけるべきだ、とか)、この記事ではほとんど触れられなかった。気になる人は本書を読んでみてほしい。

 

松本俊吉編『進化論はなぜ哲学の問題になるのか』

 この本の第8章「人間行動の進化的研究:その構造と方法論」は中尾先生が書いたもので、本書第1部の要約版のような内容になっているが、社会生物学の挫折とそこから現れた研究プログラムたち、というストーリーでまとめられていて面白かった。

アレックス・メスーディ『文化進化論』

ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』

 『人間進化の科学哲学』も大した予備知識なしに読める本ではあるが、ちょっと文章が硬いので、万人におすすめできるものとは言いがたい。上に挙げたメス―ディとヘンリックの本は、第一線の研究者が書いた入門書で、翻訳もこなれていてとても読みやすい(筆者はどちらも途中までしか読んでないけど)。

ダン・スペルベル『表象は感染する』新曜社

*1:ちなみにコメント欄に著者の中尾先生が降臨してshorebird先生と議論していて、それも面白い。Twitterの方が教えてくださったのだけど、鍵アカウントの方なので名前は出さない。

*2:プロセス研究とパターン研究はそれぞれ、小進化、大進化とも呼ばれている。

*3:後に触れるが、『進化論はなぜ哲学の問題になるのか』第8章は本書第1部の要約版のような感じで、そちらの方がコンパクトな分、複雑で細かい話に惑わされずに済むかもしれない。少なくとも筆者にとっては、そちらの人間行動生態学の説明の方が分かりやすかった。

*4:というかそもそも、文化進化論の先駆的業績は1980年代に既に発表されており、他方進化心理学が本格的に成立したのは1980年代末だった。とはいえ文化進化論が発展したのは近年のことだと思うので、そこらへんの具体的な流れについてご存じの方いれば教えてください。また進化心理学も、トゥービー&コスミデスは普遍的性質に注目した一方で、配偶者選択で有名なデイヴィッド・バスなどは個人差にも注目していた、という話が本書に出てくる。

*5:先にも書いた通り、本書で取り上げられるのは進化心理学、人間行動生態学、二重継承説、文化進化論であり、ミーム論、文化の疫学は各所で(主に3,4章で)記述があるだけで、それ単体で取り上げられているわけではないので注意。

*6:「表象の疫学」と同じものを指すと思われる。

*7:メス―ディ『文化進化論』では、ミーム論はネオダーウィニズム的な文化進化論であり、一方でここで扱っているような二重継承説を基盤にした文化進化論は、ダーウィニズム的ではあってもネオダーウィニズム的ではない、としていた。

*8:正直、アトラクターの説明があんまりきちんと理解できておらず、ここらへんはかなり筆者の推測で補っている。気になる人は本書を読んでほしい。

*9:メス―ディ『文化進化論』では、進化心理学は「伝達される文化」に対して「誘発される文化」を強調する、と書いていたが、これは確かに文化の疫学と同様の発想であるように思われる。

*10:ただし特定の文化をミームと捉えることは可能だし、またしばしば二重継承説を基盤とした文化進化論の文脈でもミームという言葉は使われたりする、とはいえそのような場面で使われるミームという言葉には、遺伝子と類比的な、融合しない自己複製子という含みはもはやない、という感じらしい。

*11:ところで、個体の学習により同じ行動が集団に広まる現象は、文化と区別して「伝統tradition」と呼ばれるらしいが、どう考えても誤解を招く言葉選びな気がする。英語のtraditionには、日本語の「伝統」という言葉とは異なる含みがあるのだろうか。

*12:ここの議論はあんまりうまくまとめられていない気がする。ごめんなさい。